50話 魔界に足を踏み入れて(4)

 『ロンドン−東京五万キロ』と道路事情


 1956 年、ロンドンから東京までドライブするという、当時としては壮大な計画が実行された。企画をしたのは、当時のロンドン特派員だった。任期が切れて帰国する ことになり、どうせならおもしろい旅をして日本まで帰ろうという思いつきに本社が乗って、この企画が実現した。使用する車は、前年に誕生したトヨタ初の国 産乗用車トヨペット・クラウン。48馬力。箱根の坂道が登れなかったとか、57年に初めてアメリカに輸出したクラウンが、高速道路でエンコしたという時代 である。そういう時代の自動車旅行記が、『ロンドン−東京五万キロ 国産車ドライブ記』(辻豊、土崎一著 朝日新聞社 1957年)だ。
 この本の存在は、多分60年代から知っていたと思う。誰かのエッセイかなにかで知ったのだろうと思うが、現物を目にしたのはずっとあと、90年代の末に なってからだ。のちに『東南アジアの三輪車』(旅行人、1999年)としてまとまる本の資料を探すために、大手町の自動車図書館に通っていたときに、書棚 でこの本を見つけた。ヨーロッパから日本をめざす長い旅がいよいよ終わりを迎える東南アジア、タイ、カンボジアベトナムの部分を拾い読みし、特に参考に なる部分はないとわかった。
 その本がインターネットの古書店で安く売られていたので、さっそく購入し、最初からきちんと読んだ。全行程をまんべんなく書いていくという構成になって いるので、深みに欠け、あまりおもしろくなかった。ただ、欧米車ではなく、発売したばかりのクラウンを使ってドライブするというあたりにも、「日本人、こ こにあり」という戦後の気概が濃厚に感じられる。これは前回紹介した『地球を旅して」にも共通する。それが、50年代の日本だ。
 その50年代の日本はどんな国だったのか。日本の道路が世界と比べてどうなのかという記述部分を、『ロンドン−東京五万キロ』から引用してみよう。文中、道路事情を兵隊の位で表しているのは、放浪の画家山下清の表現方法をまねたものだ。


   アメリカを将官とすると、ヨーロッパの道は大佐、中佐。ドイツのアウトバーンは 准将。イタリアは少佐と大尉。ユーゴは一部が准将、大部分は二等兵。ギ リシャは大尉。トルコは少佐。アラブ諸国イラクを除いて少佐。イラクは准尉。イランは二等兵、砂漠は予科練か脱走兵。パキスタンは部分的に大尉、部分的 に曹長。インドは少佐。ビルマ、タイは大尉。カンボジアは軍曹。ヴェトナムは大尉。日本は、少尉と伍長と予科練と補充兵の「烏合の衆」。

 日本の道路事情を、この本からもう少し引用してみよう。


   日本を走って、つぎに驚いたことは、道路事情の恐るべきわるさであった。特に徳山から岡山の山陽道はひどかった。未舗装のデコボコと、ひどい砂煙。舗装 のでたらめさ。それに道の細さ。すれちがいができなくて、片側通行というばかな個所が「幹線道路」に残っていた。両側の家の軒をスレスレに走らなければな らぬところもあった。都会の舗装も一定性がなく、つぎはぎだらけであった。

  ほぼ同じ時代に、ベトナムからタイにドライブした日本人の記録を読んだときにも、日本と比べてなんと道がいいのかといった記述があって、当時の日本の道路 事情のひどさを再確認した。クラウンが高速性能をまったく考えずに生産されたのは、当時の日本ではスピードを出せる道路などなかったからだ。