52話 魔界に足を踏み入れて(6)

 ネット古書店から見えてきたこと


 インターネットで古書を注文して気がついたことのひとつが、書店側の案内ページに「ノークレーム、ノーリターンでお願いします」という文章だった。つまり、「文句を言わないでくれ、返品しないでくれ」という意味だろう。
 30年前に出た文庫で、売値が300円という古本に、クレームをつけたり、返品を要求するような客がいることに驚くが、こういう文章を載せているのだから、そんな客が実際にいるということだろう。
 私は、基本的には、「本は読めれば、それでいい」と思っている。カバーがやぶれていようが、書き込みがあろうが気にならない。重要なのは内容である。だ からこそ、新本でもデザインだけを重視し、読者に「読むな!」と主張しているレイアウトの本は、読むに堪えないし、ハラが立つ。そういう本に対しては、返 品を迫らないまでも文句のひとつやふたつは言いたくなる。
 各業界で「困った客」問題が取り上げられているが、そうした一般的な話ではなく、ネット古書店の「困った客」はどうして生まれてしまったのか、しばし考えてみたい。
 まず、素人の参加が、その原因だろう。古本屋によく出入りしていれば、その売値によって、古本の状態というのがだいたい想像できるのだが、そんなことが わからない者が客になった。古本屋に行ったことがない者が、新品より安いというだけの理由で購入を決定する。送られてきた商品は当然新品ではないのだが、 客は電気製品などと同じように、新品のバーゲンだと思い込んでいるために、クレームをつける。
 そのクレームが、店に直接行って苦情を言うというのであれば、ためらいもあるだろうが、メールを送るだけなら、どんな罵詈雑言でも平気で打てる。ネット販売にはそういう特性もあるだろう。
 変な表現だが、古本屋を知らない者が知っている古本屋とは、ブックオフなどに代表される新型の古書店だ。そういう店で売られている商品は、あたかも新品 だと思えるほど磨かれている上に、立ち読み自由だ。タダで、いくらでも本が読める。読んでも、棚に返せば万引きにはならない。これとまったく同じ思考回路 で、ネット古書店に注文し、「もう読んだから」、「読んだがつまらないから」、「期待した内容じゃないから」、「読む気がしないから」などさまざまな理由 で、「本を返せば代金も返すのが当たり前じゃないか」という理屈になるのだろう。
 こうした理由のほかに、私から見れば異常とも思える潔癖症も原因のひとつかもしれないと思える。清潔・完璧症候群とでも名づけたいこの病気が蔓延しているからこそ、ブックオフのような「清潔な古書店」が好まれるのだろう。
 そのような性癖の者が、みずから古本屋に出かけず、現物を見ずに、パソコン上で買い物をする。品物が到着すると、汚れているのでガッカリする。そういう ことだろう。彼らを「異常とも思える潔癖症」と書いたが、じつはそういう彼らがいまや多数派ではないかと思う。というのも、数時間後か翌日にはゴミ箱に捨 ててしまう週刊誌を、駅の売店で上から二冊目以下を選んで買う行為は、もはや日常のもののようだし、それは月刊誌でも同じことだ。つまり、私の目で見れ ば、異常者が多くなりすぎて、それがもう普通になってしまったからこそ、「ノークレーム、ノーリターン」と表示せざるをえないのではないか。
 問題は客の側だけにあるわけではない。出店者が古書を扱うプロの場合は、商品の内容や本の状態をきちんと説明できるだろうし、するだろうが、出店者が素 人の場合は、商品の説明が不充分ということがある。買い手も素人だから、そこにトラブルがおこる。そんなこともきっとあるだろう。