439話  インターネット書店に、買いたい本がない   ―活字中毒患者のアジア旅行

 

 コンピューターを導入する前に、予想していたことがある。「パソコンを使い始めたら、きっとこうなるだろう」という予測のうち、いくつかは予想通りであり、いくつかは予想外だった。
 予想通りというのは、原稿は相変わらずワープロ専用機で打ち、短いものならファクスで送り、長いものだとフロッピーディスクに保存して郵送している。電子メールは使っていない。ワードもエクセルも使ったことがない。
 予想外だったのは、インターネットだ。インターネットというのは、自宅に国会図書館以上の資料室ができたわけだから、雑学好きの私なら、森羅万象・由無し事を調べ始めて、日夜どっぷりとつかり、シャバに無事帰還できないのではないかという不安があった。ところが、インターネット情報にはしっかりとしたものが少なく、幸いにも依存症にならずにすんでいる。
 インターネットに関してもっとも不安だったのは、ネットで本の情報を仕入れ、次々に本を購入し、経済的に破綻するのではないかという不安があった。ネットで未知の本を発見し、あるいは何年も前から探していた本を見つけたら、すぐさま「注文する」をクリックして、毎日大量の本を買い込んでしまうという不安があった。パソコン導入時にクレジットカードを作ったから、数十万円程度なら「クリック一発」で購入できる。そういう誘惑が怖かった。
 で、どうなったかといえば、パソコンを使い始めてまだ1年弱だが、ネット書店で本を買ったことは一度もない。本はすべて書店で買っている。その理由はふたつある。本は、実際に手にとって内容を点検したいという旧来からの習慣が強いことが第一点。第二点は古本に関することだ。古本に関していえば、読みたいような本がネット上にはでてこないからだ。ちょっと調べてみれば、「アジア」とか「旅行」などを専門とするネット書店があるが、どれもここ10年ほどの間に出版された本を集めたような古本屋ばかりだ。戦前の東南アジア本とか、1950年代から60年代のバンコクがわかる本が欲しくても、ネット書店は役に立たない(私の調べ方が悪いのか?)。
 ネット古書店がなぜつまらないかといえば、ネットを利用するのは主に若者で、若者は新刊を安く買うことしか考えていないからだろう。商品は自分が持っている本と、ブックオフ仕入れてきた本ばかりで、しかも古書の知識がない店主が少なくない。商品である本の出版年や著者名を明記していない書店もある。要するに、素人の参入が多いのだ。ネット古書店が不手際であるおかげで、今のところ、まだ、余計な出費をせずにすんでいる。      (2003)
 付記:上記の文章は、2003年5月に発表したものだが、その年の秋あたりから事情が急激に変わった。インターネットでどんどん本を買うようになってしまったのだ。その事情は、2004年1月に書いた、このアジア雑語林47〜52の「魔界に足を踏み入れて」に詳しい。いきなりネット書店を利用するようになったのは、「スーパー源氏」や「日本の古本屋」といった古書サイトを見つけ、戦前の本や市販されていない論文集なども手に入ることがわかったからであり、当時は楽天が現在アマゾンにある「古本・古書・希少本」コーナーのような古本サイトがあったからだ。これで、書名や著者を手掛かりにかなり広く本が探せるし、楽天を使うと「アジア 歴史」といった広いジャンルでも検索もできた。
 アマゾンが日本に参入したのは2000年らしいが、私が初めてパソコンを買った2003年ごろは、まだ私にとって魅力的なものではなかった。新刊は書店で内容を確かめて買っていたからだ。アマゾンの書籍部門の古書サイト「マーケットプレイス」が充実してくると、それまでの銀行や郵便局での振込み方式よりも、クレジットカードで支払えるアマゾンが便利で、だんだんアマゾンを利用するようになり、今日に至る。
 2004年か05年あたりから、原稿はワードで書き、電子メールで送るようになった。そのいきさつをここで書くには長すぎるので、それはまた別の機会に。