55話 本とどう出会うか(2)

 雑誌の広告で


 雑誌をほとんど読まないので、雑誌の出版広告を読んで購入を決めるということもない。
      新 聞 ・ 雑 誌 の 紹 介 記 事 を 読 ん で
 紹介記事や書評などで、その本を買いたくなることはほとんどない。私が読む新聞の書評欄で、一年間にとりあげる本が例えば100冊あるとして、「読みた いな」と思う本はせいぜい数冊で、そのうち書店で現物を見て買うことになる本は1冊あるかどうかだろう。私は小説を読まないし、難しい評論は嫌いだし、小 説でなくても基本的に翻訳物も嫌いなので、エライ人が紹介するエラそうな本には縁がない。
 縁がないのは私だけではなく、ほとんどの読者にとっても縁がないようだ。新聞の書評が営業的に意味を持っていたのは、多分70年代かあるいは80年代初 めくらいまでではないかと思う。新聞や雑誌の書評欄で紹介されることは、著者や編集者や出版社にとってはうれしいことではあるが、だからといって売り上げ が急激に伸びるわけではない。本の内容や値段などによって売れ行きに影響することもあるだろうが、初版3000部の本が、書評で取り上げられたからといっ て、いきなり1万部の注文が入ることはめったにない。書評の影響力が70年代あたりまであったのは、本を読むことは教養を高めることであり、教養が高いこ とはすばらしいことだという信仰がその時代まで残っていたからだ。こういう教養信仰の時代は、80年代の「ポストモダン」とか「ニューアカ」(ニューアカ デミズム)といった言葉が一部でもてはやされた時代を最後に終わった。
 新聞でも「日刊ゲンダイ」などの書評欄や、週刊誌の書評なら私が読みたくなるような本が紹介されているかもしれないが、そういう新聞や雑誌を読まないの だからしょうがない。ただし、そうした書評をまとめた単行本は読むから、間接的には雑誌の書評を参考にして、本を選んでいるということもあるのだろう。
 「本の雑誌」は、まだほとんど無名だった第8号か10号くらいからしばらく読んでいたが、椎名体制から目黒体制に紙面が変わり、小説中心になったのを期 に定期購読もやめてしまった。ミステリーにもSFにも、恋愛小説にも時代小説にもまったく興味がないと、せっかく買っても読むページがほとんどないから だ。
 「ダヴィンチ」は創刊号を立ち読みしたが、「書評」らしく見せているがじつは広告というリクルート式編集で、編集方針が私の興味とはまったく合わないの で以後手にとっていない。「本の雑誌」も「ダヴィンチ」も、そういう編集方針が悪いといっているのではない。趣味が合わないというだけのことだ。
 「この人が紹介する本なら、おもしろいに違いない」と思える評者を得た読者は幸せである。私の場合、読書傾向がいくぶん変わっているからなのか、そうい う評者にはほとんど出会えなかった。小説ファンの世界は知らないが、ある程度多種多数の本を読んでいる人にとって、自分とまったく同じ興味と評価基準を 持っている人など、多分いないだろう。
 評者の興味と重なるという意味では、私にとって唯一の例外的存在だったのが井田真木子だ。彼女が紹介する本は、私がすでに読んだ本か、読みたいと思って 買ってある本か、あるいは買おうと思っている本が多かった。まったく知らない本を紹介していることももちろんあったが、書評を読めば(あるいはテレビで見 ると)、その本を読んでみたくなった。実際に買ったことは多くなくても、「読みたい」と思わせる紹介記事があると感動するものだ。
 書評集や読書エッセイなどは比較的よく読むが、それは参考書として読むのではなく、文章や批評の芸を楽しむために読んでいることが多いようで、そこで紹介された本をすぐさま読んでみたいと思う確率は少ない。
 そういう書評集のひとつ、『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』(狐、筑摩文庫)をついさっき読み終えたところだが、そこにおもしろい話が出て いた。ミヒャエル・エンデの『モモ』(岩波書店)といえば、小泉今日子が「愛読書です」と紹介したために急激に売れたという出版伝説で有名だ。『モモ』の ほかに、『ライ麦畑でつかまえて』も紹介して、やはり売り上げを伸ばしたという話は知らなかったが、「あれは言ってみたかっただけ、ほんとは読んでないの よ」と、小泉はのちに告白したそうだ。