74話 年表はあることはあるけれど


  前回、このコラムで人間の生活がわかるような年表を読みたいと いう話を書いたあと、あるジャーナリストに同じ話をした。すると、「それにやや近いものはあるよ」という。日本と東南アジアの関係史のような本で、版元を 教えてもらったので、さっそくインターネットで調べてみた。長いタイトルの本が見つかった。
 『南方軍政関係史料26 戦後日本・東南アジア関係史総合年表』(早稲田大学アジア太平洋研究センター「戦後日本・東南アジア関係史総合年表」編集委員編、龍溪書院、2003年)A4版、302ぺージ。
 おもしろそうな本じゃないか。ただし、問題があった。アジア文庫に在庫がなく、アマゾンなどでも扱っていない。だから、現在入手可能であるかどうかわか らないし、内容の確認もできない。普通なら、おもしろそうだと思えば、書店に注文を出すのだが、私は「う〜ん」と考えてしまった。その理由は、定価が 18000円もするからだ。税込みだと18900円する。
 しばらく考えて、清水の舞台から飛び降りてしまった。というのも、ここ何年か、なんとなく「日本・タイ戦後関係史」のような年表を自分で作っているから だ。とくに何か目的があるわけではないが、学術書には出てこない事柄をまとめておこうと思ったからだ。芸能やスポーツなども含めた関係史なので、タイだけ に限らず、フィリピン人バンドや日本における東南アジア料理店の歴史も知りたい。『戦後日本・東南アジア・・・』が、そういう私の好奇心に真っ向から答え てくれる資料ではないだろうが、ヒントになるようなことが書いてあるかもしれないというほのかな希望を抱いて、アジア文庫に注文したのである。
 10日ほどして、本が届いた。さっそく読んでみたが、正直な感想をいえば、「やっぱりな」である。執筆者のほとんどが学者だから、年表に登場する項目 は、新聞の一面に出てくるような政治や経済の話と経済新聞で取り上げるような話の羅列で、しかも「○○新聞が、日本政府がインドネシアに△△をする計画を 発表」と書いてあっても、その計画が実際に実行されたのかどうかわからない。新聞に載った発表記事だけ紹介しても、そんなものはたいして参考にはならない のである。バンコクの地下鉄計画なんか、何十年も前から「計画が発表されている」のだから、「実施した」とか「完成した」といった書き込みがないと意味を なさない。だからこそ、年表作りは大変なのである。
 この年表で、フィリピンの項だけが妙におもしろい。おもしろい理由は、この国だけ学者ではなく、新聞記者の大野拓司さんが担当しているからだ。
 たとえば、1980年12月31日の項に「フィリピン人の日本渡航者に占める女性の割合が初めて男性を上回る」とある。いわゆる「じゃぱゆきさん」の時代の始まりである。
 同じ80年に、当時のマルコス大統領が笹川良一にゴールデンハート賞なるものを授与していることもわかる。
 以下、ページをパラパラとめくりながら、フィリピン関係の話を紹介してみよう。
大阪外国語大学に「インドネシア・フィリピン語学科」ができたのが、1984年。戦後初のフィリピン語専攻コースができたのがわずか20年前でしかないことがわかる。
・ 1966年に埼玉県羽生市とバギオ市が姉妹都市提携。
・ 1949年9月7日、国際会議のためにバンコクに向かう3人の日本人を乗せた航空機が、悪天候のためマニラ空港に緊急避難。「この3人が、戦後初めてフィリピンの空港に降り立った日本人である」と現地の新聞が報道。
 こういう雑多な事項を眺めて、しだいに関係史が見えてくるのが楽しいのだ。
 きりがないので、紹介はこれくらいにしておくが、フィリピンの項だけは読んでもおもしろい年表になっているが、ほかの国は「場合によれば、もしかして参 考になることがまったくないとは言えない」という感じだ。これはもちろん、年表を使う人の興味の方向の問題であって、学術論文を書くような人にはきっと有 用なのだろう。
 おそらく、300部とか400部くらいしか印刷していないと思うので、もし買いたいという人がいたら、できるだけ早くアジア文庫に注文したほうがいい。