80話 世界と出会ったとき

 1960年代 テレビのなかの世界



 自分が子供だったときから、子供が好きではなかった。子供向きのテレビ番組も、あまり見ていない。「隠密剣士」や「ひょっこりひょうたん島」などは見たことはあるが、熱心に見ていたわけではない。
 毎週楽しみに見ていたのは、NHKの夜7時半からの番組だった。「新日本紀行」、「現代の映像」、「NHK海外特派員報告」、そしてほかにも海外取材番 組があった。7時のニュースの流れでそのまま見るという選択ではあるが、ほかのどの番組よりも、こうした紀行番組やルポルタージュ番組が好きだった。
 こういた番組が始まったのは、東京オリンピックの時代からだが、オリンピックと直接強い関係があったかどうかわからない。日本人の視野が海外に向いた時 代だから、特派員による取材番組を放送しようというのではなく、おそらく64年から始まるアメリカ軍のベトナム攻撃、そしてパレスチナ問題といった国際問 題を扱う番組を作ろうということだろうし、そういう取材が可能な程度には日本の経済事情が良くなってきたということだろう。
 2003年は、NHKのテレビ放送50周年記念として、過去のさまざまな番組が再放送された。そのなかに、私が好きだった7時半からの番組もあった。久 し振りに見ると、暗い音楽と暗い映像の番組だったと改めて感じ、中学生がよくもあんな暗くまじめ一方の番組を見ていたものだと思うが、それは本でも同じこ とで、中学生時代に読んでいた本をいま手にすると、文庫も活字が小さく、よくもこんなややこしい本を読んでいたものだと我ながら感心するのにも似ている。 画面が暗いといっても、まだビデオがなく、16ミリ白黒映像の時代なのだから、それは当たり前のことで、当然、当時はなんの疑問も感じなかった。
 1960年に放送が始まった「兼高かおる 世界の旅」は、そのお上品さが肌に合わず、あまり見ていない。兼高の旅番組が上流階級の優雅な旅だったのに対 して、66年に放送が始まった「すばらしい世界」は、文化人類学の学者が引率する大学探検部の遠征のような番組だった。私にはこの方が肌に合ったものの、 毎週楽しみにして見たわけではない。それは、たぶん、当時すでに秘境よりも都市文化のほうに興味を持っていたからではないかいと思う。「オセアニア、×× 島の○○族の祭り」のシーンを30分見せられるよりも、洗濯物が天を覆うナポリの下町風景の紀行の方が好きだ。それはいまでも変わらない。
 中学3年のときの社会科の授業のときだった。教師が「もし、外国に行けるとしたら、どこに行きたい?」と生徒に質問したことがある。1967年だから、 規則の上では誰でも自由に外国に行けるようになっているが、中学生はもちろん、その教師の給料でも、外国は遠い遠い彼方の世界にあった時代だ。
 教師の質問に答えた生徒は数人だけだった。記憶にあるのは、ひとりの女生徒の夢だ。
「スイスです」
「なぜ、スイス?」
「『アルプスの少女』の世界に行ってみたいです。屋根裏部屋で寝てみたいです」
 私は行きたい国を答えた数人のひとりだった。
ソビエトです」
「なんで?」
「変な国だと思うからです」
 ソビエトに行きたいなどという中学生は、親が共産主義をたたき込んでいるのだろうと誤解されそうだが、共産主義にあこがれたのではなく、どうもインチキ 臭い国だから、公式発表ではない現実の世界を見てみたいと思っていたのである。だからといって、反共主義的な本を読んでいたわけではなく、ジャーナリスト のソビエト紀行のような本を読んでいた。
 ソビエトに興味を持っていたのは中3の1年間だけで、高校生になると、特定の国への興味はなくなったが、その分、世界各地に関する本を読んでいた。どう やったら日本を脱出できるかといった若者向けのガイドブックや、ヨーロッパで皿洗いをやってカネを稼ぎ、ヒッチハイクで旅をするといった旅行記も何冊か読 んだ。実際に旅をしている若者がいることがわかった。私も、いつか外国に行けそうな気がした。どこか特定の国に行くというより、とにかく日本を出てみたい と思っていたのだろう。