105話 旅行記またはマジックバスの話


 すばらしい本に出会うと、その本を生み出してくれた著者と編集者に感謝の手紙を書くことがある。あの本も、そういう本の一冊だった。
 1983年10月に出た『街道のブライアンまたはマジックバスの話』(黒田礼二、筑摩書房、1200円)は、一種の旅行記や旅行エッセイだろうと思い、 「マジックバス」という語に誘われて買った。マジックバスというのは、ヨーロッパからネパールのカトマンズを結んで走っていたバスで、おそらく世界最長の 不定期バス路線といっていいだろう。70年代初めにカトマンズでこのバスを見かけたことがあり、旅行史に興味がある私としては、マジックバス誕生のいきさ つなども書いてあればありがたいという気持ちで読み始めた。
 ところが、そういう本ではまったくなかった。フィクションとノンフィクションの境目がつかない内容だが、それが旅行講談のようで、まことに楽しい。著者 についてはまったく知らないが、豊かな教養と知識を持ちながら、その上で講談を、あるいは「毎度ばかばかしいお笑いを一席」と落語が始まるという感じなの だ。つまり、「私がその町に着いたら・・・・」という一人称旅物語ではなく、「私の悪友のひとり、イギリス人のブライアンがマジックバスの運転手をしてい たころのお話をしてみましょう」という語り口なのである。文章のリズムがいい。著者の空想だけで書いているのではなく、記述が具体的だから内容もしっかり している。イラストもいい。
 本には編集者の名は書いてなかったが、編集担当者宛に感想文を書いた。手元の資料を調べてみると、私がこの本を買ったのは出版直後ではなく、1984年9月のことだったから、手紙を書いたのもそのころだろう。
 すぐさま筑摩書房の編集者から手紙が来た。「前川さんの『東アフリカ』を持ってアフリカに行ってきました」とあって、びっくりした。私は83年に手書き のガイド『東アフリカ』(オデッセイ出版局)を出した。その本を持ってアフリカに行ったというのだ。そんな縁で何度か手紙のやり取りがあり、あるとき近況 報告で「いま旅のエッセイを書いています。出版社はまだ決まっていませんが」と書いたら、「原稿を見せてください」という手紙が来たので、渡りに舟とばか り、原稿を見せたら出版が決まった。『路上のアジアにセンチメンタルな食欲』(筑摩書房、1988年)である。
 のちに、その編集者箕形洋子さんに「どこの馬の骨ともわからん男の原稿を、よくもすぐに出版したねえ」と笑いあった。当時は「本が出る」ということがど れだけ大変なことか知らなかったので、「出版します」といわれれば、「はいそうですか」と返事しただけなのだ。箕形さんはいう。
「あのころの筑摩は、その辺がいい加減というか、『売れ行き第一』とは考えていなかったから、編集者が出したいと思う本が比較的自由に出せたんですよ。だ から、いい本も多いけど、経営が傾いて倒産したわけですよ。いまだったら、無名のライターの旅行記なんか、まず出版できませんよ」
 箕形さんの尽力で本は出たものの、まるで売れなかった。在庫がたっぷりあるのに、「品切れ 重版未定」という事実上絶版になった本だが、講談社文庫の谷 さんのおかげでふたたび日の目をみることになった。この文庫版のイラストが、『街道・・・』と同じ加納登さんだというのは、そういういきさつがあるから だ。加納さんとはまったく面識はないが、旅を感じるイラストだから、気に入っている。
 さて、先日、インターネット古書店でアジアの本を調べていたら、珍しくこの『街道・・・』がリストに載っていた。販売価格は5000円だった。この価格は店主が勝手につけたもので、相場とはいえないが、その価値を高く評価しているということだろう。
 その翌日、神田神保町の古本屋で、なんと『街道・・・』を見つけた。いままで、見つければかならず買い、友人の編集者に送り「ぜひ、復刊を」と呼びかけ てはいるが、ここ10年くらいは古本屋でも見かけなかった。先日神田で見つけた『街道・・・』は900円だった。やや高い値つけだろうと思う。
 この『街道・・・』がどこかの出版社から復刊されても、たぶんそれほど売れないと思う。はっきりいうが、アジアの旅に興味を持っている人の、知的好奇心 や教養や広い視野といったものがあまり期待できない。具体的な旅行ガイドしか売れない時代になってしまったから、『街道・・・』は売れないだろうが、絶品 の名作、幻の名作であることは確かだ。