104話 新旧は対立するか



 佐藤さんが結婚して、鈴木に姓が変わったら、「鈴木(旧姓佐藤)さん」と表記されることがある。
 古くからある旅館が手狭になったので、横に鉄筋コンクリートの新館を作ったとする。新館ができたので、元の建物は本館とか旧館などと呼ばれる。
 旧制高校というのは、戦後学制が変わって新制高校ができたから、それ以前の高校を旧制高校と呼ぶ。
 つまり、「旧」とは、それに対応する「新」ができて初めて使われる言葉だ。新館がないのに、「旧館」という言葉は使わない。例外的に「旧家」のような語 がある。「古い家」という意味ではなく、由緒正しき一族といった意味だから、「新家」という対応する語はない。「旧友」というのは、古くからの友人という 意味で、対応する「新友」という語はない。
 こういう私の日本語常識に照らし合わせて不思議だと思うのは、本やテレビなどマスコミで、「旧満州(現中国東北部)という表記だ。こういう場合、多分筆者が新聞記者でもない限り、原稿は「満州」と書いたのだろうが、編集部が手を入れたのだろうと思う。
 「旧満州」という表記が正しいのなら、「新満州」がなければおかしい。「満州」は、それが正統であるかどうかにかかわらず、日本史では歴史的名称だか ら、旧をつけずただの「満州」でいいではないか。ある人の経歴を、「旧東京帝国大学卒業後、英国に留学し・・・」などと、いちいち「旧」をつけなくてもい いだろう。
 もし、過去のものだから「旧」をつけるのだとすると、「旧江戸時代」とか「旧源氏」などといちいち表記するのか。
 「旧日本陸軍」という表記も気にかかる。もしも、現在の自衛隊は軍隊であるという考えから、かつての大日本帝国陸軍を「旧日本陸軍」と呼び、現在の自衛 隊を「新日本軍」と呼ぶのだというなら、それはそれでわかる。しかし、新聞などで、「旧日本軍」と表記するときは、そういう思想があってのことではないだ ろう。
 「旧国鉄」という表記も変だ。いまの中学生や高校生には、「国鉄(のちのJR)」とか「国鉄(現JR)」という表記は必要かもしれないが、国鉄にわざわざ「旧」をつける必要はない。
 こうして考えてみると、「旧」をつける語は多分に政治的な表現だとわかる。そして、そういう政治性に私はなじめない。