106話 あるボツ原稿


 2004年の秋のこと、ある新聞社から2005年正月特集の原稿を依頼された。テーマは 「日本を含むアジアに共通する文化や習慣」ということだった。ヒマだからすぐさま原稿を書いて送ったら、原稿を依頼した記者ではなく、その上司らしき男か ら電話があった。「こちらが依頼した原稿とは内容が違うので、書き直してもらいたい」と言うのである。
 「依頼されたとおりの原稿を書いたのですが」と言うと、「そのとおりではありますが、実は本当にお願いしたい原稿は別のテーマで・・・・」という。そこで、別のテーマでアジアの原稿を書いた。
 韓流ブームといわれているが、それはある特定の芸能人がもてはやされているブームであって、韓国映画に夢中になったことから、韓国の歴史や日韓関係を深く調べてみようという人は皆無ではないにしろ、ほとんどいないだろう。そういう趣旨の原稿を書いて、送った。
 すぐさま新聞社から電話が来て、「あの原稿は、まずい」という。それは、こういうことらしい。新聞社としては、正月の特別紙面で、「韓国映画のブームか ら日韓新時代が始まる」というめでたい紙面を作りたかったらしい。それなのに、私の原稿は「あまりにヒソウテキだ」というのである。この、ヒソウテキが 「皮相的」なのか「悲壮的」なのか、あるいはその両方の意味で言ったのかわからないが、とにかくめでたい原稿ではないから、明るい未来を予見させるような 文章に改変してくれという依頼の電話だった。私は改変を拒否し、原稿はボツになった。そういう原稿を期待するなら、韓流ブームでひと財産を作ったライター たちに依頼すればいいのだ。
 いまでも、私のあの原稿は間違いだったとは思わない。「ヨン様」と騒いでいる人は、そう呼んでいる芸能人が好きなのであって、韓国に興味があるわけでは ない。恋愛ドラマが好きなのであって、韓国社会に興味があるわけではない。ドラマの舞台には興味があって出かけるが、それ以外の土地にも出かけるわけでは ないだろう。タイ料理を自宅で作ることがあるという人が、タイ社会やタイの食文化にも興味があるというわけじゃないというのと同じことだ。それは書籍の売 り上げでもはっきりわかっている。韓流ブームといっても、売れる本は芸能と語学テキストだけで、それ以外の本は特に目立った売れ行きは示していない。
 「映画や料理に夢中になるのが軽薄で許せない」と言っているのではない。さまざまな国の映画を見るのはいいことだし、さまざまな料理を食べたり作ったり するのもいいことだ。だからといって、それを国と国との関係にまで結びつけて、「異文化理解が進む」と高く評価するというのはうがちすぎだし、過大評価で あり、恣意的である。
 韓国語を学ぶ人が増えたのもいいことだ。「外国語とは英語である」という日本の常識を打ち破り、英語とは文法も文字も違う言語がこの世にあるということ がわかっただけでも、この言語を学ぶ価値はある。「ハングル」をNHKでは韓国・朝鮮語の意味で使っているが、それが間違いだということがわかるだけでも いい。ただし、NHKの「ハングル講座」のテキストを買う人が増えたことを、「韓国を理解する日本人が増えた」と解釈するのは間違いだと私は言いたいの だ。韓流ブームで日韓の理解が深まったなら、竹島問題について自分の意見がいえる「ヨン様」ファンが次々に出てきていいはずだが、おそらく「竹島? それ 何?」という人がほとんどだろう。
 韓国や中国がかかわることではよくあるのだが、嘲笑や罵倒の裏返しとして過大評価でほめ殺しをやってしまうことがある。韓流ブーム礼賛に、かつての、「中国にはハエはいない」といった中国礼賛時代と同じものを感じるのである。