116話 バイリンガルがうらやましい



 現在しゃべっている言葉以外の言葉もしゃべれる人が、うらやましい。それはなにも外国語である必要はない。日本語でいいのだ。
 アジア文庫店主は、東京ではあたかも東京生まれのような日本語を話しているが、ふるさと別府に戻れば、地元の人の誰もが疑いようもない「地元の人」になりきれる。そういう言葉がしゃべれるのだ。
 ふるさとらしきふるさとのない私は、いまここで原稿執筆に使っているようなつまらない日本語しか使えない。俳優やアナウンサーになるなら、訛りのない日 本語はかなりの長所になるだろうが、訛りがないということは蒸留水のようなもので、飲んだってうまくない。無味無臭、ほとんどまじりけなしの水なんざ、文 字通り味気ない。
 いまさらクセのある日本語を身につけようとしたって、無駄だし不自然なことだから、もっぱら聞き手にまわっている。
 東京以外を舞台にしたドラマは、とりあえずチェックしておきたくなる。ドラマの場合は、役者の言語能力の問題と、地元以外の人にも理解させようとして不 自然な言葉にアレンジするという問題があって、100パーセント地元の言葉でくりひろげられるドラマというのはめったにないだろう。
 だから、旅に出る。電車やバスにのる。あるいは駅で、人々の会話に聞き耳を立て、耳慣れない言葉の響きに心躍らせる。会話の意味など、わからなくてい い。わからない言語に包まれるという体験はよくあることだから、耳慣れぬ言葉のリズムに接するだけで満足なのだ。うれしいのだ。
 どんな言語も、それなりにうつくしい響きをもっているものだと思っていたが、どうにもうつくしく響かないと感じるのは東海地方の言葉だ。
 じつは「関西弁」も好きではない。「関西弁」と「 」をつけたのは、テレビやラジオで垂れ流される吉本弁や松竹芸能弁に代表される「関西弁」が嫌いなの であって、関西で日常的に使われている言葉は、あれほど下品ではない(人にもよるが)。素敵な美人がしゃべれば、美しく響くのだ。
 静岡や名古屋の言葉はどうか。浜松や名古屋の喫茶店で、バス停で、デパートで耳を澄ませ、美女の会話に接したが、ダメだ。かわいい響きに聞こえない。愛 おしくなるような、あるいは味わい深い音の響きではない。旅情を誘うリズムでもない。まあ、経験不足かもしれないから、今後、新たな調査結果がでれば報告 する。
 外国語でも、響きのいい言語とそうでない言語がある。ドイツ語のようにゴソゴソした言葉でも、美女がしゃべればそれなりに魅力的な言語に聞こえるのだが、誰がどうしゃべろうが、まったくもって魅力がないという言語もあって、私の場合それは広東語だ。
 香港のどんな女優がしゃべろうが、広東語だと、市場の交渉言語、もちろんケンカ腰での、という言語になってしまう。映画で愛を語っていようが、「もっ と、まけろ!」「そんなことしたら、おまんま食えなくなるよ! 死ねというのかい」というような市場会話に聞こえてしまうのだ。市場は好きだが、24時間 市場言語というのはつらいのですよ。