123話 編集者の喜び


 神田の東京堂だった。嵐山光三郎の『古本買い 十八番勝負』を見つけて、すぐ買おうとは思った。だが、新書はウチの近所の小さい書店で買ってやろうと思ってあとまわしにした。
 帰路、その近所の書店に寄ったのだが見つからない。版元を確認しなかったが、あの表紙の感じなら、集英社新書光文社新書のはずだがと思って探したが、見つからない。そんなわけで、数日後に大書店で買うことになってしまった。
 この新書は、嵐山とその友人たちが、東京の古本屋を巡って、こんな本を買ったと語り合う巡礼記のようなものだが、地図付きで実用ガイドにもなっている。
 嵐山は、「はじめに」で、古本屋の今昔について語り、インターネットの古本屋が登場して、値段が均一化してしまってつまらんと書いている。現実の古本屋巡りのほうが楽しいという点では同意するが、「値段の均一化」というのは実情を知らない人の発言だ。
 ネット古書店巡りをちょっとやっていれば、「定価1円」という価格があることにすぐ気がつくだろうし、3年前に出た新書に「4500円」の値段がついて いるのは、あきらかに桁の打ち間違いだろう。30年前に出た本に、900円の値もあれば3800円もある。ネット書店には素人が参入しているから、「相 場」の感覚がくずれているのだ。
 まあ、そんなことはどうでもいい。嵐山がネット古書店巡りに熱心ではないというだけのことだ。この新書に登場する数百冊の本のなかで、私が持っているの は3冊だけ。読んだことがあるのもその3冊だけだから、私にとっては無縁の本が次から次へと紹介されるだけの本だ。それでもおもしろく読んだのは、古本屋 巡礼者が嵐山を含めて元あるいは現役の編集者たちで、そういう目で本を見ている描写がなかなかいい。
 嵐山は元「太陽」の編集者だったから、自分が関わった本に再会することも多い。旧知の作家の本に出会い、懐かしくなるという描写もいい。還暦を越えた作 家は、懐かしがることにテレがなくていい。澁澤とは海外取材に一緒に行った、壇とは・・・という思い出話がけっして自慢話ではなく、軽くさらりと、ほんの 数行だけ出てくる。それがまたいい。
 古本屋で、腹を立てると同時に悲しくなるのは、作家の生原稿が売りに出されている光景だと、嵐山は書いている。生原稿は、作家本人か家族が売らない限 り、編集者が勝手に売り払ったからだ。元編集者として、そういうだらしのない編集者は許せないのだろう。嵐山は「いただいた原稿はすべて返却した」と書い ている。
 そういえば、坪内祐三は、文藝評論家が編集者時代に扱ったマンガの原稿を返却せずに古本屋に売って、かなりのカネを稼いだと実名をあげて雑誌に批判記事を書いていた。それは、その評論家が死んでまもなくのことで、通常なら追悼特集になる時期なので、驚いたことがある。
 嵐山のこの新書を読んでいて、1970年代までは編集者が幸せだった時代だと思った。70年代というのは、電子メールはもちろん、まだファクスもない時 代だ。作家が書いた原稿は、作家が郵送するか、編集者が受け取りに行くという時代だった。編集者は月に一回か週に一回、作家と顔を合わせ、世間話をした り、次の企画を話したりという時間を持った。売れない作家の場合は、編集部に原稿を持参することになるが、そうなれば、貧乏作家に「飯か酒」をごちそうす るというつきあいもあった。
 私は編集者をやったことはないが、編集者の友人が大忙しのときに、代理で原稿の受け取りに行ったことはある。1980年前後のころで、まだはっきりと覚 えているのは、虫明亜呂無田村隆一の家に行ったことがある。虫明は原稿を受け取っただけだが、田村は「まあ、飲んでいきなさい」と酒を出され、インドの ことなどいろいろな話をした。
 「そういえば・・・・」と考えれば、まだ何人かの名前が浮かぶ。担当編集者ではなく、ただのお使いにすぎないので、話を合わせるのが大変だったが、貴重な体験だった。私は自分勝手だから編集者には向いていないが、ちょっと編集者がうらやましくなった。