124話 なかなか本が読めない理由


 ここ数年、本を読む速度が確実に落ちた。これには、ふたつの理由が考えられる。
 まずは、目の問題だ。目の体力とでもいおうか、あるいは目の持久力とでもいうか、長時間というほど長い時間でなくても、じっと活字を見つめているのがつらくなってきたのだ。もしかすると、メガネのせいかもしれない。
 今年の春くらいまでは、昔の文庫のような小さい活字で組んだ本や、薬のビンのラベルに印刷された極少の活字以外なら、いままで使ってきた近眼メガネでなんとか読めた。通常より小さな字を読むときは、メガネをはずして、紙を目の前に近づければ読めた。
 それが春を過ぎたあたりから、近眼鏡で本を読むのがつらくなり、「いよいよ、来たか」とすんなりとその運命を受け入れて、老眼鏡を作った。人間50を過 ぎれば、老眼鏡が似合う歳だ。遠近両用ではなく、手元用だ。このメガネ、本の字はまことによく見えるのだが、20分もすると目が痛くなる。メガネをはず し、目薬をつけ、背伸びでもすると、「コーヒーをいれようか」ということになり、コーヒーを飲みながら本を読んでいると、目が痛くなるという具合で、落ち 着いて読書が続けられないのだ。本を読む速度はここ数年落ちていたのだが、老眼鏡のせいで、ここ数カ月でまたいちだんと落ちてしまった。目が弱ると、忍耐 力もなくなるというようなことを小林信彦が書いていたような気がするが、まあ、たしかにそうだろう。
 私はまったく問題ないが、もしぎっくり腰かなにかで腰を痛めていたら、じっと座って本を読んでいるという姿勢も、けっして楽ではないかもしれない。じっ としていても、体のどこかが痛いとか違和感があるということなら、神経を集中して読書するというのはつらいものだろう。歳をとると、他人の体調を思いやる ことができる。
 本を読む速度が落ちた理由で、目の問題以上に影響力が強いと思われるのは、コンピューターである。友人知人の多くは、ネット上のさまざまなページ、団体 のものでも個人のサイトでも、時事問題でも映画評でもなんでも、読み始めると毎日数時間がたってしまうというのだが、私の場合はちょっとちがう。
 例えば、さっきまで『ベトナム短編小説集2』(加藤栄編訳、大同生命国際文化交流基金、2005年)を読んでいたのだが、ある小説の中に「ナギナタコウ ジュ」という香草が登場する。これがどんな植物であっても、小説の内容とはまったく関係ないから訳注をつけなかったのだろうが、私は詳しく知りたい。そこ で、まずインターネットで検索し、学名を調べ、手元の各種植物事典で調べるのだ。食用植物の資料はある程度そろっているから、学名がわかればあとはなんと かなる。
 あるいは、『韓国温泉物語』(竹国友康、岩波書店、2005年)を読んでいたら、かつてこの雑語林でも書いた入浴と羞恥心と民族といったテーマの参考書 として、『裸体とはじらいの文化史』(ハンス・ペーター・デュル著、藤代幸一・三谷尚子訳、法政大学出版局、1990年)が紹介してあり、欲しくなったの で、すぐさまネット書店に当たってみたのである。
 また、あるいは、おもしろい本に出会ったが、著者についてまるで知らないので、インターネットで経歴などを調べてみたり、本の内容で気になる部分がある と、頼まれもしないのに校閲したくなったりという性癖のせいで、いっこうに読書が進まないのである。ホント、校閲というのはしっかりやると時間がかかる。 まあ、知りたがり屋なんだからしかたがない。幼少のみぎりより、「なんで、どうして」を連発するガキだったのだから、いまさらどうしようもない。だからこ ういう性癖を後悔はしていないのだが、ただ、残念なのは、せっかく調べたことをほとんど覚えていないことだ。私の脳は、記憶容量が小さい上に保存能力が弱 いため、多くを覚えていられないのだ。
 ものはついでだ。インターネットと「覚えていない話」をひとつ、おまけに。
 食べ物の本を読んでいたら、食べ物とはまったく関係ないというのに、もう20年以上前に何度かいっしょに仕事をしたことがあるライターのことをふと思い 出し、彼が「いつか書きたい」と言っていた単行本をもう書いたのだろうかとちょっと気になって、コンピューターのスイッチを入れた。その日まで、彼の名前 は新聞の書籍広告などで目にしたことはない。私は雑誌をほとんど読まないので、雑誌で大活躍している書き手をまったく知らないということはよくあること だ。彼は雑誌の世界でまだ仕事をしているのだろうか。
 さて、コンピューターで検索しようとしたが、手が動かない。キーボードを打てないのはコンピューターの問題でも手の問題でもない。検索すべき彼の名前を まったく思い出せないのだ。おいおい、だ。まったく、しょうがない。彼の名が「田中」や「佐藤」なら検索はあきらめるのだが、その苗字と同じ駅名が北陸 だったか、あのあたりにあったあまりありふれていない名前だったことを思い出し、「えきなび」の路線図をざーっと見て行き、記憶力の復活を刺激する。しば らくそういう作業をやって、「ああ、これか。これだったな」やっと思い出し、晴れてグーグルやアマゾンに戻れたのである。