126話 頭(ず)が高い


 韓国のテレビドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」を見ていて気になるのは、頭(ず)が高いということだ。
 王が食事をしていると、役人たちはその前で立ったまま見守っている。食事のときだけではなく、会議の場でも、一部の高官だけが王のそばに座り、ほかの役人は立ったままひかえている。
 日本の常識で言えば、殿の前で立ったまま何かを言ったりすることなど許されない。何も発言しなくても、殿の前でボーッと突っ立っているだけでも許されな いはずで、「頭が高い! 控え居ろう!」となるはずだ。だからこそ、水戸黄門のラストシーンが成立するのだ。「チャングム」のあのシーンが、時代考証がき ちんとされたものかどうか不明だ。何度もでてくるシーンなのだが、歴史的に正しいと考えていいのだろうか。
 日本や朝鮮のように床に座る習慣があるアジアの国では、「頭が高い」問題はさてどうだろうか。私がわかるタイの例ではこうだ。高位の者の近くで、その人 の頭より高い位置に自分の頭がくることは失礼にあたる。高位の者というのが、僧侶でもいいし客人でもいい。そういう人が床に腰を下ろしている場合、「その 他大勢」の人たちが近くを歩く場合、頭を低くして歩くか、這うようにして通る。これは今でもそうで、僧侶の話を聞く者は身を低くしている。平身低頭であ る。日本人でも、人の前を通過するときは手刀を切って、「ちょっと失礼しますよ」というジェスチャーをしながら、頭を低くして歩くのと似たようなものだ。
 高位の人のそばでは、けっしてその人を見下す位置に立ってはいけないという習慣はタイだけではなく、その周辺の国々でも共通ではないかと思う。「頭が高い」のはいけない文化だ。
 ところが、おもしろいことに、高位の人が椅子に座っている場合なら、話は別だ。会社員が上司である部長に事業の経過を報告しているシーンを想像すると、 椅子に座った部長の前で部下は立ったままだ。話が長くなる場合は、「まあ、座りたまえ」などと椅子を勧められることもあるだろうが、通常は立ったままだろ う。私はサラリーマン経験がないから、こういうシーンはすべて映画やテレビドラマでの記憶だが、まあ、現実もこうだろうと思う。つまり、椅子の場合は、高 位の人(上司)を見下してもいいということだ。
 「しかし、なあ」と、別の例も思いつく。やはりテレビドラマかドキュメント番組で見た記憶なのだが、ナイトクラブなどのシーンで、ボーイやホステスがソ ファーに座った客の脇で床にひざを突き、注文を聞いたり、注文された飲み物をテーブルにのせたりしている。客よりも「頭が高い」のは失礼だと考えているの だろう。仕事用や食事用の椅子くらい高ければ身を低くすることはないが、ソファーのように低い椅子だと「頭が高い」のは失礼になるということなのだろう。 ソファーの高さが、西洋と東洋の境だ。
 やはり映画の記憶だが、中国の場合、玉座は初めから高い位置に作られているし、部下は床にひざをついて皇帝にしゃべっているというシーンがあったような気がする。
 というわけで、この問題を考えるには、「チャングム」のシーンが歴史的に正しいのかどうか考察するところから始めないといけない。時代考証といえば、 「たぶん」という程度の自信しかないが、「チャングム」の時代(15世紀末から16世紀前半)には、朝鮮にはまだ料亭や飲み屋はなかったはずで、テレビド ラマが歴史資料には適さないことは明らかで、だからこの「頭が高い」話もきちんと調べないと正解はわからない。