1960年前後のテレビとアジア(1)
おもしろいだろうと思って買った本が、予想を大きく外れておもしろくなかった。せっかく買った本だから、もう少しつきあってやらないともったいないと思うものの、すぐに目は活字を離れ、頭は別なことを考え始めている。
「テレビの初期とアジア」というテーマが頭に浮かんだ。あれこれと、関係がありそうな番組を考えた。日本でテレビ放送が始まるのは1953年で、もちろ んその当時のテレビ番組を私は見ていない。「もちろん」と書いた意味は、若者はわからないだろうが、中高年なら当然わかる。貧しかったからだ。我が家は貧 しかったにもかかわらず、1959年には世間並みにテレビを買っていた。父親もまた世の流れに乗って、皇太子の結婚パレードをテレビ中継で見たいと思って 相当無理して買ったのかどうか、いまとなってはわからない。野球にも興味のない父は、晩年になるまで、テレビを熱心に見るという人ではなかった。プロレス がちょっと好きだったという程度だ。だから、テレビは自分のためではなく、家族サービスとしてきばったのか、あるいは「憧れのテレビを買う」という流行に 乗ろうとしたのかまったくわからない。たぶん、家族サービスでテレビを買ったのだろうとと思う。というのは、テレビを買ったころ、父はすでに単身赴任の生 活が始まっていて、自宅で自分がテレビを見る機会などほとんどなかったからだ。それともうひとつ、父は機械が大好きだから、「機械を買う」ということにな ると、ブレーキがかなり甘くなるということもある。
テレビ購入のいきさつはどうであれ、1959年から自宅でテレビを見ている。この「自宅で」というのも、若年層にはよくわからない表現だろうが、このコラムを若年層は読んでいないだろうから、解説は加えない。
1952年生まれの男が、「テレビ番組とアジア」について思い出を探ってみた。今では海外取材など、場合によっては国内取材より安くすむこともあるが、 昔は国内でさえ大変だった。ビデオの時代ではないから機材が多く、重く、しかも交通手段が限られていた。昔のことは覚えているというのが年寄りの特殊技能 で、記憶の底のアジア関連番組をあれこれ考えてみると、関係がありそうな番組がふたつ思い浮かんだ。「NHK海外特派員報告」と「快傑ハリマオ」だ。
「NHK海外特派員報告」は1964年から78年まで続いた番組だが、前身は60年に放送が始まった「NHK特派員だより」で、64年4月にタイトルが 変わった。「快傑ハリマオ」(”怪傑”ではないのに注意! 間違っている表記が多数ある)の放送は、60年4月から61年6月までだ。「特派員だより」時 代の記憶はないが、「特派員報告」時代は私の好きな番組だったものの、具体的にどういう番組を放送したのか記憶がない。
ちなみに、海外旅行番組の「兼高かおる 世界飛び歩き」の放送開始は59年12月で、「兼高かおる世界の旅」とタイトルが変わったのが60年9月。番組名と年代が入り乱れてわかりにくいので、整理するとこうなる。
「NHK特派員だより」
「快傑ハリマオ」
「兼高かおる世界の旅」
この3番組が1960年に放送が始まったのである。いずれも、海外取材(あるいはロケ)した番組だ。
さて、これは偶然か、あるいは故あることかという話は後回しにして、ハリマオ関連のはなしから始めよう。ハリマオの謎は、防空壕跡程度の穴かと思って調べ始めたら、巨大な鍾乳洞のような空間だった。 その話は、次回に。