深夜放送
いままでのすべてのテレビ番組のなかで、最高傑作をひとつ選ぶなら、「EXTV大阪」 (エックステレビ大阪と読む)を選定したい。どうしようもない11PMが終わって、そのあとに登場した番組だ。構成は11PMと同じように、東京・日本テ レビと大阪・読売テレビと交互の放送で、大阪版が週2回あった。
東京版の司会は三宅裕司。これが、まあ、箸にも棒にもかからない、どうしようもない駄番組だったが、大阪版はすばらしかった。司会は上岡龍太郎と島田紳 助。ジミー大西の画才を発見した番組であり、家で眠っている骨董品を鑑定する番組をつくり、これがのちにテレビ東京の鑑定番組へと発展した。
EXTV大阪は、テレビをネタに遊ぶ番組でもあった。春秋の番組改変直前に「改変予想」をした。「あの番組は、もう終わるな」などと放送でよくも、ま あ、しゃべったものだ。また、視聴率調査機器が家庭にある人に向かって「放送が終わっている深夜のNHK教育テレビにチャンネルを合わせてください」と番 組で依頼し、見事成功し砂嵐の画面にも視聴者がいたという調査結果を引き出した。テレビはどこまで表現可能なメディアなのかという実験番組だった。 『EXTV大阪伝説』という本が出版されてもおかしくないほどの、名番組だった。
この番組は、司会者のアイデアが全面的に採用されているからすごいのだろうと思っていたが、上岡いわく「全部スタッフが考えたことで、我々の企画はなに もない」と言っていた。ということは、ディレクターや作家が優秀だったということだが、いま彼らはどこに行ったのだろう。
夜の11時台ではなく、もっと遅い時間帯の放送で絶品を選べば、「地理B」がすぐ頭に浮かぶ。
その話に入る前に、NHKを例にちょと深夜放送事情を振り返る。
1974年にオイルショックの影響で、NHKの放送は23時までとなる。街から深夜のネオンサインが消えた時代だ。
84年にやっと24時まで。24時の壁を越えるのは95年で25時まで。全日24時間放送になるのが97年だ。
民放のほうで、突然深夜がにぎやかになるのは80年代末だ。以下、年表風にいくつか書き出してみる。フジテレビの深夜放送だ。
1988 やっぱり猫が好き、マーケティング天国
1989 奇妙な出来事(TBSで「イカ天」始まる。90年まで)
1990 カノッサの屈辱
1992 アジアバグース
1991 地理B、カルトQ、TVブックメーカー
1993 音効さん、音楽の正体、アジアンビート
なぜこの時代に突然深夜放送が活発化したのかよくわからないが、とにかく魅力的な番組が続々と登場した。
アジアバグースはシンガポールとマレーシアとインドネシアと日本の素人のど自慢として始まった。おもしろくないので、あまり見なかった。一方、熱心に見 ていたのが、アジアンビート。司会は、当時ほとんど無名のユースケ・サンタマリア。アジアの雑多な事柄を扱うバラエティーだったが、バンドのリードボーカ ルが司会だからか、音楽ネタも多かった。今、まったく同じ構成でやっても、おもしろいと思うが、視聴率のことはわからない。韓国のポップミュージックをテ レビで紹介した初めての番組かもしれない。
さて、いよいよ「地理B」だ。この番組をひとことで言えば、教育テレビの「地理」をフジテレビがやるとどうなるかというもので、番組予算はNHK教育よりも少なかったかもしれないというくらいの低予算番組だった。
具体的には、毎回ある国を取り上げて、地形、気候、産業、歴史、民族、言語などを解説するだけの番組だ。予備校の地理講師が高校の文化祭程度の予算でつ くった絵などの小物で、その国の解説をする。ただ、それだけの番組でありながらおもしろかったのは、在日留学生が登場して生の言語が聞けたり、衣食住の情 報が伝わったからだ。海外に興味があり、日本ではほとんど映像資料のない国々が毎週紹介された。低予算を逆手にとった無骨さがよかった。低予算が欠点では なく、おもしろさにつながっていた。「今週はエリトリア、来週はアンゴラ」なんていう番組は、いいな。今また放送しても、まあ、「旅行人」の読者とアジア 文庫の常連くらいしか見ないかもしれないが、そういうマイナーさたまらなくいい。 旅を感じるああいう番組がなつかしい。
旅を感じるといえば、東北本線の運転席にカメラを構えて、東京から北に走る鉄道の車窓だけを映していた番組があった。あれもよかった。私は鉄道マニアで はないが、ただぼーっと車窓風景を眺めているのが好きだ。ヘリコプターか軽飛行機による航空映像でもいい。鉄道でもバスでもいい。何時間でも、ただただ風 景だけが流れている番組があってもいいなあと思う。ときどき地名が字幕で出るだけで、あとは音楽が流れていればいい。
※深夜放送のことをネットで調べていたら、フジテレビの往年の深夜番組は現在、スカイ パーフェクトTVで再放送しているそうだが、私は見られる環境にない。でも、見られたら見るかな。「おもしろかったよな」という記憶とともに、そのままに しておいたほうがいいような気もする。