139話 テレビの話(1)

 野球音痴 


 思い出に残るテレビ番組というのはいくつかあるが、一切の文句なしに「名品、傑作、絶 品」と賞賛できる番組はそう多くない。子供時代はあまりテレビは見なかったし、旅に夢中になっていた青年期は資金稼ぎと旅行で、テレビなどほとんど見てい ない。だから、比較的テレビを見るようになったのは、旅行者からライターに変身しつつあった1980年代末あたりからだ。
 今も昔もスポーツには興味がない。やるのも見るのも関心がない。野球どころか、キャッチボールさえしたことがない。だから、当時の日本の少年としては、 大変人なのかもしれない。ルールも知らないし、選手名どころか球団の名前さえ知らなかった。「巨人」は知っていたが、「カープ」と「広島」が同じ球団だと 知らなかった。父親がスポーツにまるで興味がなかったせいで、テレビで野球を見ることもなかった。
 突然こんな話をするのは、まがりなりにも12球団すべての名前がわかるようになったのは、1985年に放送が始まったテレビ朝日のニュース・ステーショ ンを見るようになったからだ。毎日のスポーツニュースに登場する球団名をいつしか覚えたのが、1980年代後半あたりということになる。それ以前にも ニュースは見ていたはずだが、おそらくスポーツニュースの時間になると、テレビの前から離れたのだろう。
 ついでだから書いておくと、黒柳徹子のエッセイにこういうのがあった。徹子の部屋に出演した元プロ野球選手に対して、「初めてマウンドに上がったときの 気分はどうでしたか?」と質問し、その答えは「私は野手なので、マウンドには上がりません」。この一件を笑いの種にされた黒柳は、こう書く。たしかに野球 のことはあまり知らないけれど、打ったらどっちに走るのか知っているし、まったくバットを振らなくてもストライクが3つ入れば「三振」と呼ぶことくらい 知っているわよ。
 そのエッセイを読んで、バットをまったく振らなくても「三振」というのだと初めて知った。世界広しといえど、黒柳徹子に野球のルールを教えてもらった者は私以外にはいないだろう。そのくらい野球を知らずに過ごしてきた。
 『牙 江夏豊とその時代』(後藤正治講談社文庫)を読んでいて、ひとつわかったことがある。そもそも私がスポーツノンフィクションを読もうと思ったの は、著者である後藤正治作品に興味があったことと、「その時代」の部分に興味があったからだ。ここ何年も戦後史が気にかかっていて、ある人物や事柄の戦後 史を書いた本が読みたくなるのだ。
 『牙』を読んでいて思い出したのは、江夏自身のことではない。私は現役選手時代の江夏を知らない。アメリカにテストを受けに行くというニュースで、「江 夏豊」という選手を知ったのである。『牙』の記述を読んでいて思い出したのは、1975年秋のロンドンだ。その時、私はヨーロッパ旅行を終えて帰国の準備 をしていた。ロンドンに来た目的のひとつは日本までの安い航空券を買うためだった。偶然見つけた日本人経営の旅行代理店に通い、安くておもしろそうなルー トの航空券を探しつつ、ロンドン近郊の情報を仕入れたり、日本語のおしゃべりを楽しんでいた。会社の名はいまでも覚えている。TOKYO TRAVEL CAREだ。
 オフィスで紅茶をごちそうになっていたある日、日本の若者が狂気乱舞してオフィスに入ってきた。以前に一度見かけた顔だ。彼は、手に日本の新聞を握りしめている。「ほら、日本から送ってもらったんですよ。ほらね、優勝したんですよ。すごいでしょ!」
 野球にまるで興味がない私は、おそらく「まあ、バカバカしい」という顔で、彼を無視したと思う。日本を遠く離れて外国を旅行しているのに、日本の野球ごときに一喜一憂しているなんてつまらんヤツだと思ったはずだ。
 そこで、『牙』だ。この本で、1975年の野球界で何が起こったのか初めて知った。広島が球団創設以来初めて優勝したのである。それならば、まあ、ファ ンが狂気し乱舞しても許してやろうというくらいの許容力が今はある。初優勝ならば、日本からわざわざスポーツ新聞を取り寄せたくなるだろう。
 ロンドンのあの一日から30年たって、やっと謎が解けたのである。