東京の上野駅と御徒町駅(おかちまち)の間にアメ横がある。戦後まもなく、闇市でサツマ イモを原料にしたアメを売る店が多かったことから、このあたりがアメヤ横丁と呼ばれたものの、進駐軍の横流し品が売られるようになるとアメリカ横丁と呼ば れたらしい。アメヤでもアメリカでも、略せば同じアメ横だ。
こういう話で始まるのが『アメ横の戦後史 カーバイトの灯る闇市から60年』(長田昭、ベスト新書、2005年)だ。著者の長田氏は、1946年からア メ横で菓子製造・卸や輸入雑貨卸などで財を築いた人だから、文筆に関しては素人だ。実際に原稿を書いたのは「R&A編集事務所 冶田明彦」と明記されてい る。その点では良心的な本だ。
なぜそういう舞台裏のことまで書くかと言うと、参考文献に警察や外務省の資料が出てくるだけあって、著者がしゃべった話に加えて資料を使って補強しているのがよくわかるからだ。テープにとった談話を文章にしただけの本ではない。だからこそ、ちょっとひっかかるのだ。
この本でもっともおもしろかったのは、闇ドルに関する部分だ。闇ドルというものを、団体旅行しか知らない人にはなじみがないだろうし、欧米しか旅行しな い人も知らない世界だろう。ただし、1970年以前に個人で海外旅行をした人は、どこに行くにしろ、「闇ドル」という言葉くらいは知っているだろう。
闇ドルというのは、法律では禁じられているにもかかわらず、現地通貨をアメリカドルと両替することを闇両替といい、そういう違法な手段で両替したドルを 闇ドルという。具体的にはこういうことだ。例えば、ある国では1米ドルが8ルピーと両替レートが定められているとする。これが、政府が決めた公定レート だ。しかし、外国製品を手に入れたい業者や外国旅行をしたい人は、違法だと知りつつ、米ドルを手に入れるために公定より高いレートで米ドルを買う。
私が旅を始めた1970年代なら、アジアやアフリカのたいていの国には闇両替があり、米ドルの現金があれば、銀行で両替するより多くの現地通貨が手に 入った。インドやネパールで、よくは覚えていないが公定の15%増しくらいだったと思う。インドネシアでも闇両替はあった。
日本でも、1米ドルが360円だった1960年代まではあった。1米ドルは360円と決められていたが、このレートで両替するならどれだけでも自由に両替できるわけではなかった。
海外旅行でいえば、海外渡航が自由化された1964年当時、日本から持ち出すことができる外貨は500ドルと決められていた。だから、日本円ならいくら でもある金持ちは、闇でドルを手に入れて持ち出したのである。あるいは、外国製品の買出しをしたり、外国人タレントの出演料が必要な人は、どうしてもドル が必要だった。じつは、ビートルズのギャラも一部は闇ドルで支払われているのだ。
闇ドルの供給源は、おもに米軍である。在日米軍の将兵も、基地内だけで暮らしているわけではないから日本円が必要だ。銀行で正しく両替すれば、10ドル で3600円にしかならないが、闇両替の業者の元に行けば1ドルが400円くらいで両替できるから、10ドルで4000円になる。あるいは、米軍相手の飲 食店経営者や娼婦たちが、米兵から受け取ったドルを手に両替にやってくる。こうして手に入れたドルに利益を加えて、日本人に売るわけだ。
闇ドルの説明が長くなったが、戦後しばらくのアメ横は闇ドルの取引場所だったという。しかし、話はそれだけで終わらない。闇ドルの大手業者が集めたドルが、政府のある機関に渡り、フィリピンへの賠償金の一部に使われたのだという話がでてくる。
アジア諸国への戦争の賠償問題は、公表できないウラの話があまりに多いことで知られているのだが、こういうカラクリがあったというのだが、さて。「さ て」というのは、ほんと?という意味だ。長田氏も聞いた話をしゃべっているだけかもしれないし、じっさいに文章にしているライターも事実は知らない。
読者をもっとびっくりさせる話は、闇ルートで集めた金が東京オリンピックの金メダルになったというトリビア話で、これも「さあて、なあ・・・」としかい いようがない。「ウソだ!」といっているのではないが、そのまま信じていいのかなあという疑問がある。この新書がKKベストセラーズのベスト新書ではな く、中公新書や岩波新書だと、編集者が「要確認」と記入しそうな個所だ。だから、もうちょっと調べて書いてくれたらなあと思うのだが、新書というボリュー ムと、この版元では無理だ(バカにしているわけではない)。そのあたりが、もどかしいのである。
ノンフィクションライターの興味を刺激する話が出てくる本だが、闇ドルを知らない年代層にはピントこない話だろう。