151話 リーゼントのキャロル


 長髪派少年だったから、短髪青少年が大嫌いだった。
 丸坊主、角刈り、スポーツ刈りの青少年の、単純な頭脳構造が嫌いだった。年齢による秩序、絶対服従の構造。それでいて、コソコソとごまかして、センパイ がいないところではうまく立ち回ってごまかすという行動形態は、私はもちろん体験してはいないが、大日本陸海軍内部そっくりなような気がした。ウソだとわ かっているくせに、運動部を「さわやかな存在」として売り物にするマスコミも嫌っていた(今も、スポーツと芸能にはほとんどジャーナリズムはないと思 う)。高校野球が嫌いなのも、インチキを隠した胡散臭さにあるのかもしれない。
 短髪派同様に嫌っていたのは、リーゼント派だ。あの60〜70年代の用語でいえば、「暴走族」であり、「つっぱり」だった。あいつらが嫌いな理由は、徒 党を好んでいるからだ。ひとりじゃなにもできないくせに、徒党を組むと、やたらに偉そうに肩をいからせる。ヤクザと同じである。自分の頭で考えないヤツ ら、同調者がいないと行動できないヤツらが大嫌いだった。いや、今でも嫌いだ。
 だから、私はキャロルが嫌いだ。なぜ、「だから」という接続詞を使うのかという理由は、あの時代を知っている人はわかるだろうから、それでいい。矢沢永 吉もキャロルというバンドも、「いいなあ」と思ったことがない。日本語を英語風に発音すれば「カッコイイだろ」という発想が貧困だ。
 それなのに、たった今、私はそのキャロルの演奏を生で見ているのだと知った。他人事みたいだが、本当に記憶がないのだ。
 今となっては伝説のバンドとなったキャロルを見たのは、1974年6月12日、場所は神田共立講堂だ。それを教えてくれたのは、前回にも引用した『ぼくたちの七〇年代』(高平哲郎晶文社)だ。
 6月12日、発売元が晶文社からJICC出版局(現・宝島社)に変わった雑誌「宝島」の「宝島復活大興行 ―― 君も散歩と雑学が好きになるだろう集会」が神田共立講堂で行なわれ、読者であり、散歩と雑学が好きな私は当日会場に行った。
 司会は藤本義一。ゲストは五木寛之矢崎泰久片岡義男浅井慎平、沢竜二、一龍斎貞水チャンバラトリオなどが出演したあと、トリとしてキャロルが出 演してヒット曲を歌いまくったらしい。この会に行ったということは覚えているが、なにしろ32年前なんだから、詳細なんか忘れている。それでも、キャロル のファンなら一生忘れられない一夜になったはずだが、私はまったく覚えていない。
 キャロルは、翌75年に解散している。結成は72年だから、74年のこの当時は人気絶頂の時代だ。そのキャロルの演奏を見ているのに覚えていないのだか ら、ファンからすれば「なんと、もったいない!!」と憤慨するところだろうが、まあ、世の中そういうもんだ。
 この雑語林の101号「新宿・鈴平」に、この「宝島」復活イベントのことを少し書いた。あの原稿を書いているとき、責任編集長であるはずの植草甚一が壇 上にいたという記憶がなく、さて、どうしたわけだといぶかしく思っていた。そのなぞも、今回わかった。この復活イベントが行なわれたとき、植草甚一は初め てのニューヨーク長期滞在をしていたのだ。