164話 『建築家なしの建築』


 紆余曲折ののち、ひとまわりして1979年のあの日に戻ったらしい。 
 1979年のその日、私は知り合いの編集者と雑談していた。彼は、雑誌の新企画をあれこれ考えているところなんだと言って、1冊の建築雑誌を見せた。
 「こういうような内容で、特集ができたらいいなあと思っているんだけどさあ、なかなかうまくいかなくて・・・」
 その建築雑誌には、えらく暗い写真ばかり載っていた。私は「街の普通の建築物」に興味があったので、その雑誌で紹介している泥の家や穴倉の家には、大し て興味がなかった。それでも、その雑誌の奇妙なタイトルはいつまでも忘れなかった。『建築家なしの建築』といった。
 1970年代前半の国内外の旅の資金は工事現場で稼いだせいか、建築には親しいものを感じていたが、深い興味を持つようになったのは1980年代に入っ てからだろう。特に何か、特別なきっかけがあったわけではなく、旅先で見かける建築にふと興味を持ち、建築物の読み方を知りたくなり、建築の本を読み始め たのだった。実用書以外の建築の本には、当時はおもしろいものは少なかった。
 芸術作品というのは作者の名がはっきりしているもので、作者が明記されていないものは工芸品に分類されることがある。芸術家の名は明記されるが、職人の 名は明記されない。建築においても、設計者がはっきりとわかっている建築物は、メディアでは、あたかも名画鑑賞のような扱いを受け、設計者を明記しない建 造物は、鑑賞に値しないモノとして扱われてきた。だから、建築の本と言えば、西洋建築史上有名な建造物の賛美と有名建築家の作品鑑賞がほとんどで、音楽世 界が「音楽と言えば西洋音楽」という枠から出られないのと同じだった。
 私の読書体験では、1980年代後半ころから、アジアやアフリカの建築に関する本が少しずつ読めるようになってきた。それはちょうど、音楽の世界で 「ワールドミュージック」というジャンルが認められるようになり、西洋音楽だけが音楽じゃないと宣言しはじめたたように、建築の世界でも「西洋と日本」と いう枠が少しずつ外れていった。こうして、私は1990年代から現在まで、本格的にアジアやアフリカや、あるいはヨーロッパでも設計者の名前などわからな い普通の住宅に関する本ばかり読んできた。
 その種の建築の本を読んでいると、しばしば出てくるのがバナキュラー(Vernacular)という語だった。「風土的」などと翻訳されるが、要するに その土地の風土に合った建築を考えるという発想だ。そして、そういう語がでてくる本で必ずと言っていいほど言及されているのが、あの『建築家なしの建築』 なのだ。 
 それならば、あの日に戻ってみようかと思った。建築の旅の「ふりだし」に戻ってみようと思い、『建築家なしの建築』(バーナード・ルドフスキー著、渡辺武信訳、鹿島出版会、1984年、1800円)を買った。
 その本の説明を、ちょっとしておこう。著者ルドフスキーは、1905年にウィーンで生まれたアメリカ人建築家。1964年にニューヨークの近代美術館 で、「建築家なしの建築」という写真展が開催された。日干しレンガの家や地中の家や高床の家や、土地ごとの気候風土に合った建築物の写真展だった。
 それらの写真をもとに、「都市住宅」別冊として「建築家なしの建築」が1975年に出版された。知り合いの編集者が私に見せたのがこの雑誌だ。その後、 鹿島出版会からSD選書の1冊として、1984年に単行本として出版された。先日買ったのが、この単行本だ。読んでみれば、私がこの20年以上考えていた ことがちゃんと書いてある。
 「これまでの建築史に含まれるのは地球上のごく小部分に限られ、その範囲は20世紀に西洋人によく知られていたヨーロッパ、エジプト、小アジア(トルコとアジア地域)からほとんど出ていない」
 日本の場合は、基本的には、西洋に日本の建築が加わるだけだった。
 さて、ルドフスキーが問題にしなかったことがある。「風土的」な家というのは伝統的な家で、その土地の風土に合ったもっとも快適な住まいなのかという問 題だ。「伝統はすばらしい」と言いたい人には、例えば「日本人は日本の伝統的住居に住むのが一番いいのだ」という発想だ。たしかに、明治時代に西洋建築を そのまままねて、レンガの家を作った人がいるが、湿気がひどくとても住めたものではなかったらしい。では伝統的日本住居、例えば江戸時代の住宅は快適だっ たかと言えば、家は夏向きにできているから夏は比較的快適でも、冬の寒さはつらかっただろう。だから、家は夏向きではなく、冬向けの構造のほうが快適なは ずだ。現在でも、農村の木造住宅なら冷房なしでも暮らせるが、暖房なしではつらい。
 ベトナムでは、その暑さを無視して、中国文明を模倣して、暑さに弱い家をあえて建てている。これをどう考えるかだ。
 こういうことを考えつつ、『湖上の家、土中の家』(益子義弘+東京芸術大学益子研究室、農文協、2006年、2800円)を読んだ。