166話 リバーサルフィルム


  先日、タイで撮影したフィルムの現像が今日できる予定なので、買い物がてら夕方にでも店に寄ってみようかと考えていたら、いままで使ってきたリバーサル フィルム(スライド用フィルム)のことをいろいろ思い出した。というのも、今回のタイ旅行で初めて、従来のフィルム式カメラに加えて、デジタルカメラも 使ってみたので、いずれ消え去るであろうフィルムに対してちょっと感傷的になっていたのである。
 私がタダの旅行者だったころは、写真などほとんど撮っていない。基本的に写真は嫌いなのである。撮影するのは面倒だし、撮られるのはもっといやだ。だか ら、仕事として旅行するようになって初めて、仕事として写真を撮らなければいけなくなったわけで、旅行中の、いわゆるネガカラーの記念撮影という時代がほ とんどない。ライターになって、いきなりプロ用のリバーサルフィルムを使用するようになったのである。1970年代末によく使っていたのは、コダクローム 64、プロはKRと呼んでいたフィルムだ。
 ASA感度64というのは、確かに「色が濃い」と感じさせる絶品フィルムであり、だからこそロングセラーなのだが、私のように旅をしながら撮影するには つらいフィルムなのだ。スタジオで撮影するか、あるいはF1.4というような高額レンズを使う写真家ならば使えるだろうが、路地裏や市場専門のいいかげん カメラマンとしては、感度が64ではつらいのである。
 しかし、いま振り返ってみれば、「撮影がつらい」というフィルムも悪くないような気もする。現在のデジカメ時代になれば、やたらになんでも撮影可能とい うことになってきたが、光の具合で撮影がなかなか大変という状況だった昔は、撮影の可能性をさぐって工夫もしたし、時間もかけた。だから、撮影対象をよく 観察したし、考えながら撮った。結果的に、いい写真が撮れたような気がする。
 あれは、ビルマ方面に行くときだった。雑誌などから依頼された旅行ではなく、のちに『東南アジアの日常茶飯』としてまとまる食文化取材に行くときだっ た。取材費も自腹という貧乏旅行だったから、編集プロダクションに勤める友人がフィルムを恵んでくれたことがあった。
「試しにASA25のフィルムを買って、使ってみたんだけど、やっぱり使いにくくてさあ。欲しければ、あげるよ」
 ありがたくいただいた。64よりもまだ濃い色で撮影できたが、炎天下でしか使えないフィルム」だから、屋内はもちろん、夕方近くなれば、仕事はもうおし まいで、怠け者にはなかなかいいフィルムだった。1983年以降は、フジクローム100が発売されて、夕方でも仕事をするようになった。
 雑誌などから依頼されて撮影する場合は、フィルムは現物支給ということが多かったので、フィルムの値段が高いということは知っていても、気にはならな かった。しかし、のちに自分の企画で撮影旅行をするようになると、その値段がつらかった。はっきりとした値段は覚えていないが、コダクローム64が 1980年代初頭あたりで、ヨドバシカメラあたりでも1本1300円から1400円くらいはしたような気がする。そして、現像代はそれよりちょっと安いく らいで、合計すれば1本あたり合計二千数百円くらいかかった。10本撮れば、二万数千円、100本撮れば、二十数万円である。これは、いまもほとんど変わ らない。しかし、もしデジタルにすれば、フィルムがいらないわけで、この費用がほとんどタダになる。貧乏カメラマンや貧乏出版社がデジタルカメラを喜ぶ理 由のひとつが、この費用の差だ。
 外国で買えば安いのではないかと思い、タイで値段を調べたことが何度もある。最初に調べたのは、1980年代初めで、このKRが1本270バーツもして いた。安宿1泊が20から30バーツという時代で、1バーツは約12円だった。円高の1990年代になると、フィルムはタイで買うようになった。値段は多 少安いという程度だったが、日本から大量に持っていくのは重いし、カサばるからでもある。
 「フィルムが重い」という感覚は、旅するプロカメラマンでないと実感したことがないだろう。フィルムの3本や5本なら、「重い」とは感じないだろうが、 30本もあれば、ずっしりと重いのである。カサもけっこうある。移動のたびに、「撮影するたびに軽くなるフィルムがあればなあ」と思ったものである。現像 前も、現像後も、温度にも湿度にも気を使わないといけないのがつらく、スライドの整理整頓もまた大変なのである。
 こうして、フィルムの話をあれこれ思い出していたら、馬籠の一日が思い浮かんだ。その話を次回に書こう。