カメラがデジタル時代に入ってから、1台もカメラを買ったことがない。かなり前に1台もらったから、持ってはいるのだが、ほとんど使っていない。使わないうちに、時代遅れのカメラになってしまった。
もともと、写真が嫌いだ。撮影するのも、されるのも、好きではない。観光地で、さかんに自分の姿を撮ってもらいたがる人の神経がわからない。自分で自分を撮影する「自分撮り」というのも、わからない。パーティーなどでやたらに写真を撮り、「あなたの写真ですよ。うれしいでしょ」と自宅に写真を送ってくる人も少なくない。そういう行為が「親切」だと勘違いしている人がいる。この世には、それほどナルシストが多いのだろうか。困ったものだ。
写真嫌いだから、昔はカメラなど持たずに旅をしていた。のちに、カメラが旅の必需品になってしまったのは、職業的旅行者であるライターになったからだ。有名作家なら、カメラマンが同行して取材旅行をするということがあるだろうが、私に仕事を依頼してくるような貧乏メディアでは、ふたり分の取材費など用意できないので、ライターがカメラマンも兼ねることになる。こうして、私はしかたなく、カメラを持って旅するようになったのである。
そういえば、かのバブル時代に、この私でさえ、カメラマンといっしょに海外取材にでかけたことがあった。「これで、やっと優雅に取材ができる」と思ったのだが、実際はとんでもなかった。同行カメラマンは、新婚旅行で香港に行ったことがあるというだけの海外体験しかないので、日本以外では使い物にならないのだ。空港での諸手続き、現地でも移動から撮影許可や通訳や、はては飯の心配までしてやらないとなにもできない男で、こちらはライターとしての仕事をするヒマがない。
帰国後、編集者に実情を伝えて、「さすが、写真家という写真でなくてもいいなら、次回からは、自分ひとりで取材させてください。そのほうが自由に取材できるので」と頼んだ。ライターである自分が写真も担当すれば、取材後に書くであろう文章に合わせて、撮影することができる。ある国の、高層ビルの話を書きたいと思ったとする。とすれば、高層ビルを見上げたアングルの写真が欲しい。そこで、24ミリレンズをつけたカメラを路上に置いて、セルフタイマーで撮影してみようかなどと考えて、文章のイメージに合わせた写真を撮影できる。そのように思って、ひとりで行かせてほしいと編集部に依頼して、次回からはそうしてもらったのだが、カメラマンには悪いことをした。バブルの時代でもあり、けっこういいカネになる仕事だったのだが、私の依頼で、妻子あるカメラマンはかなり稼げる仕事を失った。
それ以来、単独取材をするようになったのだが、撮影機材が増えるのは、タイで芸能をさぐるようになってからだ。一眼レフカメラに、レンズ3本と予備のコンパクトカメラというのはいつものことだが、暗いステージを撮影するために、大光量のストロボや三脚なども用意するようになった。プロのカメラマンなら、300mm F2.8のレンズを用意するべきなのだろうが、高く、重く、大きいので、私向きではない。数日間の取材旅行なら、無理をしてでも持ち運ぶだろうが、私の東南アジア取材は通常半年間続いていたのだ。そんな長期間、重い撮影機材を毎日持ち運べない。
芸能以外でも、なにかおもしろいモノを見つけたら、すぐさま撮影しておくというタイプのライターである私は、24時間いつでもカメラバッグを手元に置いていた。家の近所に夕食を食べに行くときでも、カメラバッグを離さなかった。だから、大きく重いレンズは持ちたくないのだ。
デジタルカメラの時代に入って、明らかに楽になったのは、撮影画像を瞬時に確認できることのほか、フィルムを持ち歩かなくてもよくなったことだ。フィルムは高くて重くて、かさばった。「フィルムは、撮影したら軽くなったらいいのになあ」と何度思ったことか。フィルム代と現像代を合計すると、時代によって変わるが、1本あたり2500円から3000円くらいしていたと思う。100本使うと、フィルム代と現像代で30万円近くにもなる。出版社からの依頼で取材するわけではないので、フィルム代ももちろん自腹だ。
ほかにも、デジタルカメラの利点はあるのだが、今は元の写真嫌いに戻ってしまい、カメラを買う気にはなれない。買っても、撮影したいモノなどないのだ。旅行をしても、カメラを持ち歩かなくなった。ところが、ちょっとひまつぶしで・・・・。