303話 読書の話のおまけ  本を運ぶショルダーバッグの話

 退屈な年末年始をお過ごしの方に、「粗品」代わりのおまけの話です。いつもより、ちょっと長めのサービスです。
 荷物を手に下げるのはどうも苦手で、考えてみれば、高校生のときに、自作のショルダーバッグを使って以来、いままでずっとショルダーバッグを愛用している。考えてみれば、60年代はもちろん、70年代でも、男はバッグなど持っていないものだった。80年代のバブル時代になり、ヤクザとプロ野球選手がクラッチバッグを持つようになるが、一般のサラリーマンのほとんどは、スポーツ新聞や週刊誌を片手に満員電車に乗ったものだ。書類などを持つ時は、会社の書類袋に入れてかかえていた。手提げバッグを持っているのは、管理職というイメージがあった。ただし、編集者は原稿を入れるために、バッグを持っている者もいた。そういえば、007の影響で、アタッシュケースが流行ったことがあったが、そういう話を始めるとますます話が横道にそれるので、ここでは深入りしない。
 高校卒業以後もずっとショルダーバッグを使っている。その理由は、タバコと、本や雑誌を入れるためだ。1日4箱くらいは吸うから、バッグには常に5箱以上は入れてあった。私がタバコを吸い始めたときはまだ100円ライターはほとんど普及してなかったから、バッグには大箱のマッチを入れていた。使い捨てライター「チルチルミチル」の登場は、1975年だ。そして、古本屋巡りが日課だったから、買った本や雑誌を入れるには、バッグが必要だったというわけだ。
 どういうバッグを使っていたかはっきりと覚えているのは、1980年代初めにアフリカ行きの準備をしていたとき以降だ。アフリカを1年ほど旅するには、強靭なバッグが必要だ。一眼レフカメラに交換レンズ3本に、24ミリレンズにも対応する大型ストロボも安全に運べるバッグで、かつ数冊の本やノートが収納できるバッグを探して、都内のバッグ店やカメラ量販店を歩きまわった。そうして見つけたのが、「防弾チョッキの布を使ったバッグ」という強靭さを売り物にしたカメラバッグだった。
 このバッグは、アフリカ旅行を終えてからも、日本国内の取材でも問題なく使用できて、最後はジッパーなどの金具の不具合があって、数年の酷使の末に天寿をまっとうした。このバッグの唯一の欠点は、丈夫すぎたことだ。雑多な物事に興味のある私の場合、旅行中は24時間年中無休で取材中でもある。宿から出るときは、近所への買い物であれ、カメラバッグを持って出る。宿がドミトリー(多人数の大部屋)の場合は、トイレやシャワーに行くときでも、安全のためにカメラバッグを持っていく。頑丈な布を使ったバッグを、寝ている時以外絶えず持ち歩いていると、ジーパンの脇の左右のポケット付近の布がバッグにこすられて、すぐ穴があいてしまうのだ。だから、ジーパンの穴があきそうな部分は、革でパッチワークをしていた。
 このバッグはカメラバッグとしては優秀だったが、日本で普段使うには容量が小さすぎた。カメラバッグというのは、カメラの出し入れが便利なように、バッグの左右上下は短く、奥行きが深いずんぐりしたデザインになっている。しかも、緩衝材が入っているから、バッグの大きさに比べて、容量は少ない。
 そういう欠点はわかっていたから、アフリカからの帰路立ち寄ったアテネで、日本での普段使い用に、ヌメ革のショルダーバッグを買った。質実剛健、実用本位、美しさなど二の次のバッグだった。そのバッグは、80年代に渡って使い倒し、薄い茶色が濃いチョコレート色になり、厚い革が擦り切れるまで使った。「もうこれ以上は、使えないなあ」と思っていたころ、友人がギリシャに行くというので、プラカ地区のバッグ屋を教えて、同じものを買ってきてもらった。
 この二代目ギリシャバッグも、初代と同じように、汗と雨で変色し、すっかりくたびれた姿で、今もパソコンの脇に鎮座している。しかし、ここ数年、まったく使わなくなった。このバッグがA4サイズに対応していないからだ。A4の雑誌や資料を折らないとバッグに入らない。だからA4以上の物は、手提げのバッグに入れていたのだが、荷物がふたつになるのが嫌で、ついにA4対応バッグを買った。
 サラリーマンがノートパソコンを入れるようなバッグだから、サイズの問題はない。丈夫で、機能性に富み、しかも安い。だから大満足かといえば、不満はあった。黒の没個性バッグは、商品として大変優れてはいるが、ダークスーツなど着ない私には、愛着がわかないのだ。革は時間とともに姿を変えていく。それが魅力のひとつだが、化学繊維のバッグはみすぼらしくなるだけで、風格はない。
 愛着がわきそうなバッグを探した。ギリシャバッグのような本革のバッグは、バッグ自体が重い。最近の人工皮革は、値段の点でも本革と変わらないような商品もあり、おそらく丈夫さでも遜色ないものもあるだろうと思い、けっこうな代金を払って人工皮革のバッグを買った。
 そのバッグを持って外出した最初の日。バッグには文庫本と手帳を入れて家を出た。駅近くの本屋で、単行本2冊と新書を買って、駅に歩きだした20歩。肩にかけたベルトが伸びていくのがはっきりわかる。肩からはずしてベルトをみれば、老人の皮膚のようにシワが寄り、ベルトとバッグの接着部分が裂けていた。インドや中国で作ったインチキ臭いバッグだって、もうちょっと長持ちするだろうに、20歩でその生命を終えた。こういうバッグを持っている人は、本は買わないんだ。
 というわけで、今は革と布を使ったトートバッグを使っている。
 大量の本を運ぶのが目的なら、デイバッグを使えばいいじゃないかという意見があるだろう。しかし、本屋巡りの習慣があり、多少なりとも他人への配慮を考える人なら、古本屋にリュックは持ち込まない。リュックは、狭い店内でじゃまだからだ。ただ、私の場合、あるテーマの本をまとめて買う目的で神保町に行くときは、リュックを背負って行くこともある。買い出しだからだ。そういう場合は、古本屋の入り口でリュックを背からはずして、手に持つ。重くなったリュックを背負っているのはつらいが、重くならない日は収穫がないということだから、それはそれでむなしい日である。