"Very Thai Everyday Popular Culture"(前出)に、「トゥクトゥク」という項目がある。東南アジアの三輪自転車と三輪自動車を研究している者としては、ぜひとも精読しなくてはいけない。で、読んでみると、これはいけない。一部を要約して、前川の解説をつける。
●トゥクトゥクはいまや世界に輸出されている。ヨーロッパはもちろん、ブラジル、エジプト、モロッコへと輸出されるようになって、それまで車体後部に付けていた"SUZUKI" "DAIHATSU"といった看板は、"THAILAND"に変わった。
→"SUZUKI" という看板は、ありえない。個人が勝手につけたかもしれないから、「皆無だ」と断定できないが、そうした説明なしに"SUZUKI"と書くべきではない。 また、原文でははっきりしないものの、"THAILAND"という表記になったのは21世紀に入ってからのような書き方をしているが、もっと古い。いつか らと、はっきりとはいえないが、1980年代からボツボツ変わり始めたと思う。
●トゥクトゥクの歴史を振り返る。1833年に日本人が人力車を発明し、1872年にタイ に輸出された。のちに、日本人は人力車にエンジンを取り付けて、南アジアや東南アジアに輸出した。1959年、タイは31台のダイハツ製三輪自動車を輸入 し、1960年には合計4000台になった。長い顔つきの初期モデルは、まだアユタヤで走っている。1963−64年には、TOHATSUはバーハンドル を丸ハンドルに代え、ドアを取り外した新型車を導入した。
→1833年という数字が唐突で、理解不能。1872年に人力車がタイに渡ったという説はタイに残る記録だが、総合的に見て信憑性に欠ける。
"Very Thai"の著者が誤解していることはいくつもある。まず、トゥクトゥクは、人力車にエンジンがついたものが原型だと思っていること。元はダイハツ・ミ ゼットだ。そのミゼットには前期型と後期型があって、バンコクで走っているのは前期型。バーハンドルで、ドアはない。オリジナルの姿とはちょっと変わって いるが、アユタヤで走っている顔の長いタイプが後期型で、丸ハンドルだ(映画「三丁目の夕日」などでよく登場する車。インドネシアでは、オリジナルのまま 走っている)。ところが、著者は前期型と後期型を取り違えている上に、TOHATSUという謎の自動車メーカーを登場させている。
人力車やミゼットなど日本が関連しているテーマは、非日本人にはわかりにくいことはある。もし、この本の著者が三輪車に興味があるなら、拙著『東南アジ アの三輪車』の年表でも英訳して送ってあげようかと思いつつ、巻末を見た。どういう参考書を使ってこのコラムを書いたのか、知りたくなったからだ。2冊の 書名があげてある。
Surakiart Sathirathai , cited by Rungrawee Pinyorat , "Fog threatens view of Royal barges"(TN,22/07/2003)
Maekawa Ken-ichi , "Three Wheeled Vehicles of SE Asia"(Ryokonin 1999 , Japan)
まさか、拙著を参考にしているとは思わなかった。だって、間違っているんだから。謎なのは、著者が多少なりとも日本語が読めるのか、それとも日本語が読める人に読んでもらったのか、あるいは読まずに書名だけ参考文献として書いておいたのか。そのあたりが、わからない。
版元の旅行人を、「Ryokonin」と表記しているのも謎だ。拙著の奥付けには、URLに「ryokojin」とは書いてあり、もちろん 「Ryokonin」とは書いてない。とすると、旅行人を知らない不注意な日本人が、「りょこうにん」と音読したらしいと推察される。
まあ、そういうことはどうでもいい。トゥクトゥクについて間違った文章を書いた著者を責める気はない。それよりも、日本の情報を外国に伝えなかった日本 の責任について考えた。日本文化といえば、能や歌舞伎や生け花や盆栽という発想で、その種の資料が英語で発表されるのはよくあった。いまは、ビジネス書と 並んで、村上春樹などの小説もかなり翻訳出版されている。しかし、マンガやアニメの研究書はまだだと思う。人力車関連の資料では、最大の参考書である『人 力車』(齋藤俊彦、クオリ、1979年)が翻訳されれば、全世界の乗り物研究者は多いに参考になる。そうしないと、「明治天皇が人力車に乗って東京都内を 走ったのがきっかけで、日本国中に普及した」なんて、とんでもない記述をするライターもいなくなるはずだ。
横のものを縦にする(外国語を日本語にする)のが近代の日本だが、そろそろ縦のものを横にすることを考えてもいいような気がする。こういうテーマのコラムは、じつはずっと以前から書いてきて、例えば映画研究者の松岡環さんの文章を読みたい外国人は、少なくないはずだ。