179話 国立国会図書館遊び(3)

 竹村健一の本で遊ぶ



 戦後20年ほどの海外旅行事情に興味がある人は、それほど多くはないだろう。そのうち の、わずかな人は、もしかすると竹村健一の名が引っかかっているかもしれない。もうだいぶ前になるが、「旅行人」編集部が国会図書館の蔵書のなかから、お もしろそうな旅行書を探していて、若き竹村健一が書いた本を見つけたことがある。アフリカの本など、旅行の本を書いていた過去は私も少し知っていたが、次 のような本も書いていたとは知らなかった。書名から類推して海外旅行に関連ありそうな本のなかから、1960年代末までに出版された本を書き出してみる。 英会話など英語の本はあまりに多いので、省略する。
1955年 『千五百円世界一周記』(関書院)
1957年 『ある無銭旅行者の記録』(隆文館) 
1964年 『安く海外旅行をする法』(野田経済社)
      『海外の生活ガイド』(教学研究社)
1965年 『海外スマート旅行』(実業之日本社
1966年 『体験的アメリカ旅行ガイド』(吾妻書房)
1967年 『世界の女は俺の手に』(桃源社
1969年 『アフリカ』(白陵社)
 竹村は、1930年生まれ。1953年に大学を卒業し、毎日新聞社に入社するが、同年7 月に第1回のフルブライト留学生としてアメリカに渡った。アメリカ文化の研究が目的だったそうだ。翌54年9月にフランスに渡り、年末までヨーロッパ、イ ンド、香港を旅して帰国。55年から英文毎日編集部に復職した。帰国してすぐ、海外旅行と英会話の本を量産する。
 フルブライト留学といえば、小田実の名もすぐに思い浮かぶ。小田が留学したのは58年で、『何でも見てやろう』を出したのは61年だ。竹村の本はすぐに消えたが、小田の本は出版後46年たった現在でもまだ入手できる。若者にも広く読み継がれている。
 世間では、「量は質に転化する」とか「量は質を凌駕する」というが、それは間違いだと証明しているのが竹村健一だ。1960年代に50冊の本を出してい る。1970年だけで11冊。今日まですでに500冊以上もの本を出していながら、結局ゴミの山を作っただけで終わった。ゴミに飛びついた日本人がいたか ら、月刊誌のように次々と単行本を出していったのだ。こういう現実を知ると、日本人というのは「プロジェクトX」が描き出したほどには利口ではないとわか る。
 アホな読者を手玉にとって、本を買わせる竹村の腕は、ある意味、見事なものだ。粗製乱造というのは、ある種、才能である。粗製という粗悪品は誰にでも作 れるが、その粗製を乱造と呼ばれるほど持続的に量産するには、並外れた才能が必要だ。出版社が相手にしないような粗製を作っていては、次が出せない。
 自分がいかにも大物であるか見せる術に長けているのだろう。英語の記事を日本語に要約するだけで、「さすが、先生、すばらしい」と、鄙の○○クラブや各 種商工会議所会員を感心させるだけのハッタリも必要だ。大物ぶりを自己演出できれば、読者と出版社はついてきて、量産体制が整う。
 そういう商売力には優れているが、いい本を書く才能はないらしい。そうそう、竹村が商売を学んだのは山陽特殊製鋼だそうで、そう、「華麗なる一族」の会社ですよ。
 今回、竹村の著作リストを眺めて、私が初めて読んだ竹村の本を思い出した。『虹を追った男』(講談社、1969)は、サブタイトルが「チェ・ゲバラの猛 烈な生涯」だ。ゲバラの評伝だと思って読み始め、たしかに評伝なのだが、文中、いきなり「私は・・」と竹村本人が登場して、「なんだ、これ!」と、思っ た。高校生でも、竹村のインチキぶりには気がついたのだ。定価380円の本を、神保町のワゴンセールで100円くらいだったと思う。さっき。ネット古書店 で調べたら4200円の値段がついていたが、そんな価値のない本ですよ。騙されちゃいけない。