209話 池澤夏樹の「世界」は、こんなもの


 河出書房新社が今度出す「世界文学全集 全24巻」は池澤夏樹の個人編集を謳っている。何人かの編集委員が収載作品を選ぶのではなく、池澤夏樹たったひとりに作品選定を任せましたという「世界文学全集」だ。
 書店で、この文学全集のチラシを手に入れた。もともと池澤には何も期待していないから、失望したというわけではないが、チラシを読むと「なーんじゃ、こ れ」という選定だ。「池澤夏樹の世界」を知る資料にはなるだろうが、その「世界」がいかに狭く偏っているかがよくわかる選定だ。だから、この文学全集は正 確には「西洋文学中心全集」なのである。
 「第1集 全12巻」の作品名に、作者名とその一応の国籍を記しておこう。「一応の国籍」というのは、現在国名が変わったり、移住したり、いろいろ移動 もあるだろうから、正確な意味での国籍ではない、という程度の意味だ。第2集12巻の紹介は、長くなるので省略。興味のある人は、ネットなどで調べてくだ さい。

1 「オン・ザ・ロード」 ケルアック(アメリカ)
2 「楽園への道」 バルガス=リョサ(ペルー)
3 「存在の耐えられない軽さ」 クンデラチェコ
4 「太平洋の防波堤/愛人ラマン」 デュラス(フランス)
  「悲しみよ こんにちは」 サガン(フランス)
5 「巨匠とマルガリータ」 ブルガーコフウクライナ
6 「暗夜」 残雪(中国)
  「戦争の悲しみ」 バオ・ニン(ベトナム
7 「ハワード・エンド」 フォスター(イギリス)
8 「アフリカの日々」 ディネーセン(デンマーク
  「ヤシ酒飲み」 チュツオーラ(ナイジェリア)
9 「アブサロム、アブサロム!」 フォークナー(アメリカ)
10 「アデン、アラビア」 ニザン(フランス)
  「名誉の戦場」 ルオー(フランス)
11 「鉄の時代」 クッツェー南アフリカ
12 「アルトゥーロの島」 モランテ(イタリア)
  「モンテ・フェルモの丘の家」 ギンズブルグ(イタリア)

 さあ、どうです。アジア人作家はふたりいる が、「戦争の悲しみ」は、いろいろ問題を指摘されてきた井川一久訳だから、英語版からの重訳のはずだ。「アフリカの日々」にしても、「愛人ラマン」にして も、西洋人が見た植民地のアフリカでありインドシナだ。第1集の12巻17作品のうち、アジア文学2作品、アフリカ文学2作品が収められている。これが第 2集になると、アジアとアフリカの代わりにほんの少し南米を加えた構成で、圧倒的に西洋中心であることに変わりがない。
 つまり、池澤が考える世界というのは、9割の西洋と「その他の地域」で成り立つ世界なのだと理解できる。「商売上、欧米ならやや売れる」という出版社側 の都合があるだろうが、それだけで構成を決めるなら、たんなる名義貸しにすぎない。しかし、多分、名前を貸しただけではなく、「池澤夏樹の世界」がこうい う、バナナのような形をした地球儀ということなのだろう。細い両端が、非西洋の「その他の世界」という地球儀だ。
 音楽における「世界音楽、ワールド・ミュージック」という考えが広まるにつれ、世界中の音楽を並列に聴いていく姿勢ができつつある。もちろん、まだ西洋 の音楽が唯一無二、絶対的に優れた音楽、あるいは「音楽と呼びうるものは西洋にしかない」と信じ込んでいる人もいるにはいるが、さまざまな地域の音楽を同 じように楽しんでいる人々もいる。しかし、文学となると、相変わらず西洋限定なんだと気がつくのである。
 翻訳の問題がある日本人にとって、「文学」というのは、国文学のほか、英、米、仏、独、露の文学という時代がまだまだ本流で、ロシア文学の代わりにイタ リア文学が入ったくらいの変化しかないのだろうかと、文学にまるで関心も知識も読書体験もない私は思うのである。なにしろ、2007年に読んだ小説はたっ た2冊、ビルマの『漁師』(チェニイ、河東田静雄訳)と、カンボジアの『地獄の一三六六日 ポルポト政権下での真実』(オム・ソンバット、岡田知子訳)。 いずれも大同生命国際文化基金発売の非売品で、2007年刊。