236話 石井好子の外国 その2

 ハワイ



 ハワイを訪れた有名人を写真で紹介した『憧れのハワイ航路』(恒文社21編集部著、恒文 社21発行、恒文社、2001年)を読むと、戦後初めてハワイに立ち寄った芸能人は、田中絹代だとわかる。1949年10月、日米親善使節として渡米し、 その往路と復路にハワイに立ち寄り、1950年2月に帰国した。大和撫子の代表のように思われていた女優が、ちょっとアメリカに行っただけで、サングラス の派手なアメリカ人風の服装で、ファンに投げキッスをする変身ぶりに対し、いっせいに非難を浴びたエピソードは有名だ。
 1950年になると、ハワイを訪れる芸能人が一気に増える。
 石井好子がハワイの空港に到着すると、出迎えに来ていたのは、服部良一笠置シズ子、暁テル子、灰田勝彦、榎本美佐江といった有名人だった。空港からラジオ番組を放送するという企画だった。
 服部良一がハワイにいた事情は、笠置シズ子の「東京ブギウギ」がハワイでも話題になり、ハワイで興行していたということらしい。服部良一一行よりも数カ 月早く、1950年4月には古賀政男一行がハワイに来ている。霧島昇、二葉あき子、小唄勝太郎渡辺はま子、市丸といった歌謡ショーの一行だった。5月に は、美空ひばり川田晴久が来て興行をしている。これは二世部隊のチャリティーコンサートへの招待だった。ハワイを観光するひばりの映像は、映画「東京 キッド」にごく一部挿入されている。50年7月には、山口淑子アメリカ訪問の途中ハワイに立ち寄り、服部良一一行と合流している。
 ハワイ到着から10日後、石井好子はサンフランシスコに着き、学生生活とアルバイトの歌手生活が始まった。紹介者があって出会えたジョセフィン・ベー カーに、シャンソンを勉強したいなら、パリに行けといわれて、フランスに渡ることを決心する。実際に、石井がフランスに渡るのは、1951年12月だっ た。ニューヨークからの船旅だった。
 パリで歌手となって暮らす石井好子については、すでにいくらかは知っている。1950年代初めにパリを訪れた有名人の旅行記には、石井がよく登場していたからだ。パリ在住日本人が少なかった時代、多くの有名・無名人たちが、石井を頼ってパリに来たと思われる。
 以下、石井がフランスで交流があった人々の名を上げてみよう。フランスに日本料理店が一軒もなかった時代だ。
 パリ北駅で石井を出迎えたのは、朝吹登水子(1917〜2005)。実業家の娘で、1936年から39年までフランスで過ごし、戦後の50年になってま たフランスにやってきた。彼女が翻訳したサガンの『悲しみよこんにちは』が出版されたのは、1955年。その朝吹が出迎えに来ていたのには、理由がある。 朝吹の兄であるフランス文学者朝吹三吉の妻は、石井の姉なので、ふたりは義理の姉妹ということになる。
 このあと、続々と有名人が登場するが、それは次回。