237話 石井好子の外国 その3

 パリ



 1年半のアメリカ滞在のあとに渡ったパリだが、所持金は数週間分しかなかった。シャンソンのレッスンを受けているうちに、歌手としての仕事が舞い込み、その待遇もしだいによくなっていく。とりあえず、生活の心配などせずにパリで生きていくことができるようになった。
 『私は私』に、パリの銭湯の話が出てくる。こういう話題に興味がある身としては、資料を記録しておくためにも、ここで引用しておこう。
 パリでは当初ホテル住まいをしていたが、旧知の砂原美智子(オペラ歌手)と同じアパートに移り、同じフランス語学校に通うことになった。

 ――アパルトマンのボイラーは戦時中使えなかったからそのまま錆びついて、私たちが住んでいる頃もお湯が出なかった。
 「お風呂へ行くのよ」と先輩の美智子ちゃんが言った。
 「え? パリにお風呂屋があるの?」
 「タオルや石鹸持っていくのよ。持っていかないと売りつけられるからね」
 二人でタオルと石鹸を持って地下鉄の駅ビルアケムの近くに行った。お風呂屋といっても日本のように大きな風呂にたくさんの人が入るのではなく、個室でホテルのような洋風のお風呂に三十分とか一時間とか払って入るのだった。

 『私は私』は、石井のパリ交遊録でもあるので、有名人が次々と登場する。人物の説明は省略して、石井がパリで出会った人物の名前をちょっとあげておく。
 宮城道雄、藤倉修一、火野葦平川口松太郎獅子文六京マチ子有馬稲子岸恵子丹阿弥谷津子(たんあみ・やつこ)、杉村春子、根岸明美山口淑子中川一政小林秀雄三島由紀夫田中千代越路吹雪黛敏郎森有正秋山庄太郎・・・・・・
 著名人の名はまだまだ続くが、これくらいにしておこう。海外旅行が自由にできない時代とはいえ、ある種の特権を持っていた人たちは日本を抜け出し、憧れの、夢のパリに来て、石井を頼ったのだろうと思う。
 フランスだけでなく、イタリアでも出会いがあった。仕事でローマに来たとき、ホテルのロビーで知っている顔を見かけた。石井が音楽学校の学生だったこ ろ、弟に「ガールフレンドだ」といって紹介された女性だった。親の遺産が入って、そのカネで彫刻の勉強をしにローマに来たという。その女性の名は、岩本梶 子。のちに、夫となった川添浩史とともに六本木でイタリアレストラン「キャンティ」を開き、「六本木・夜の女王」と呼ばれたという人物だ。
 この雑語林で何回も触れているように、私は日本の外国料理店事情に興味があるので、キャンティという名は昔から心に残っていた。『キャンティ物語』(野 地秩嘉、幻冬舎、1994年)を読んで、もっと知りたいと思ったちょうどそのとき、アジア文庫のあるすずらん通りの古本屋で、『キャンティの30年  1960〜1990』(川添光郎、非売品)を店頭で見つけ、神保町の恐ろしさというか奥深さを感じたことがある。
 この非売品の本に、石井好子キャンティの思い出の文章を寄せている。それによれば、岩本梶子は弟のガールフレンドだったから知っているというだけでは なく、石井の留学費用の元となった山中湖のあの別荘の、隣が岩本家の別荘で、お互い幼いころから交流があったのだ。
 1950年代のヨーロッパは、別荘を持っているような日本人が行きかう世界だったのだなあとつくづく思う。
 次回はカネの話。