317話 韓国焼肉事情に変化 1/2

 韓国の本を多く書いている鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんの本は、出れば必ず買う。すべてが傑作ということはないが、韓国在住の韓国人ライターだから、日本人ライターが書く文章とは取材の深さが違う。
 だが、最新刊の『韓国の人情食堂』(双葉文庫)は、残念な本である。韓国の食堂について書いた本だと思って買ったのだが、内容に則して題をつければ、『韓国酔いどれ紀行』か『韓国飲み屋巡り』である。韓国では、日本のように飲み屋や居酒屋と食堂の区別が明確ではないことはわかるが、全部「飲む」話なので、飽きる。旅行ガイドの面を充実させようとしたから、読み応えのある内容は期待できない。しかし、そういう情報が欲しい読者にとっては、願ってもない「鯨飲馬食紀行ガイド」なので、「この本の出来が悪い」と私が言いたいわけではない。私の興味範囲からずれているというだけだ。ただ、最近の彼女の本は飲み歩き紀行が多く、その分野でも、彼女の全著作のなかでも、『マッコルリの旅』(東洋経済新報社)が、いまのところ最高傑作である。日本でマッコルリ(日本では「マッコリ」の方がなじみのある呼び名だ)がブームになり、この本はすぐに品切れになり、しかし、なかなか増刷されない程度の売り上げということらしい。
 ちなみに、日本のマッコルリブームは韓国に飛び火して、いままで焼酎しか飲まなかった人たちもマッコルリを飲み始めた。とくに焼酎よりもアルコール度が低いので、女性が好んで飲むようになっているらしい。今まで、「田舎者の酒」と思われていた酒が、都会の女性が飲むカッコイイ酒に変身したようだ。
 さて、『韓国の人情食堂』に、プルコギに関する興味深い話が書いてあった。今のように韓国食事情のガイドなどほとんどなかった昔、焼肉は韓国語で「プルコギ」というという情報を旅行ガイドブックで知り、韓国の食堂で「プルコギ!」と注文し、たいていの日本人はがっかりしたものである。それは、1970年代に初めて韓国に行った私自身の体験談でもある。
 プルコギは、日本人が思い浮かべる「焼肉」ではない。少量の肉を、菓子かと思うくらい甘いタレに漬けこんで、大量の野菜と共にジンギスカン鍋のような鍋で煮て食べる。このプルコギをうまいと言った日本人に会ったことがない。鄭さんによれば、韓国の焼肉は2種類に分けられ、肉に味をつけずに焼く「生コギクイ」と、下味をつけてから焼く「プルコギ」があるという。ソウル式の焼肉を説明した部分を引用する。

ソウル式は肉を唐麺(春雨)、野菜などとともに甘めのタレで味を付け、中央が丸く盛り上がっている鍋で焼いたものである。あふれる肉汁が鍋の外側にたまる。汁気が多いので焼肉というよりすき焼きに近い。朝鮮戦争後、貴重だった牛肉を少量だけ使って多くの人が肉の風味を楽しめる「肉水(スープ)型プルコギ」として考案されたという説もある。70〜80年代、人気外食メニューだったソウル式は、90年代に肉本来の味を楽しむ生コギクイが台頭すると、焼肉の王道ではなくなった。

 昨今、日本のテレビでは、お手軽韓国食べ歩き番組が毎日のように放送されているが、そこにプルコギが登場することはめったにない(と思う)。日本人に人気がないからだと思っていたが、それだけではなく、韓国でも「なつかしい料理」という位置にある料理らしい。韓国経済が強くなって、韓国人が金持ちになってくると、肉に強い味をつけたり、野菜で増量する必要がなくなり、肉の味を存分に楽しむようになった。というわけで、プルコギの人気が後退していったようだ。
 無知ゆえに、プルコギを注文してしまった昔を思い出しながらこの文章を書いていて、別の鍋のことが気になってきた。ジンギスカン鍋だ。あの鍋そのものの来歴がよくわからないが、ジンギスカン鍋もプルコギも同じような鍋を使い、ジンギスカン鍋も肉を生のまま焼くのと、下味をつけておく食べ方があり、どちらにしろ、たっぷりの野菜とともに食べる。今は、この2種類の鍋について詳しく調べたりしない。本腰を入れないとわからないようなので、「本腰」はどなたかにお願いしたい。