316話 うまいうどん

 東日本のうどんは、どうも好きになれない。しかし、ある事情で、立ち食いそば屋で食事をしなければならないとしたら、ためらわずうどんを注文する。まずいうどんでも、まずいそばよりましだからだ。あっと、ここでそばの話を書きたくなったが、今回はうどんだけでまとめる。「東京のうどんはまずい」というと、関西人は歓喜の声をあげて「そやろ、東京の真っ黒いうどんは、あかん」などと言うに違いないが、じつは、私、関西のうどんもあまり好きではない。東京のうどんより大阪のうどんの方がましというだけで、大阪のうどんを高く評価しているわけではない。
 関西のうどんはどんなものだろうかという疑問が長年あって、関西に行くたびにうどんを食べ続けてみたことがある。店舗を構えた古いうどん屋も、いつも客が絶えない立ち食いうどん屋も、郊外の商店街の、なんということもないただの立ち食いの店も、とにかくさまざまな場所で食べてみた結果、私にはうどんが柔らかすぎて、汁が塩辛すぎることがわかった。
 関西人でさえわかっていない人がいるのだが、関西で使う薄口醤油というのは、色は薄いが塩分濃度は濃口醤油よりも高いのだ。だから、同じ量の醤油を入れた汁は、濃口醤油を入れたほうは色が濃いので塩辛いと思いがちだが、薄口醤油を入れたほうが塩辛いのである。以前、NHKのある番組で、東西のうどんの塩分濃度を調べたら、関西のほうが塩辛いことがわかったという内容だった。
 私が大好きなのは、讃岐うどんである。20年以上前でも、わずかだが東京にも讃岐うどんが食べられる店があり、最初から「うまい」と思い、いつかうどんを食いに高松に行こうと憧れ、実際に食べに行ったことがある。食べ物だけにつられて旅に出たのは、このときだけだ。香川のうどんはどの店でもうまく、「だれか、全日本讃岐化計画をやってくれないか」と会う人ごとにしゃべっていたのだが、いつの間にか私の願いが通じたようで、讃岐うどんの波は全国に及びつつある(沖縄は例外かな)。ありがたいことだ。
 数年前から、讃岐うどんの波が関西にも押し寄せているという話を関西人から聞き、その事情を知りたいと思っていたときに、本屋で『関西極楽さぬきうどん 前編』(浦谷さおり・別府護、西日本出版社)を見つけたので、さっそく買った。大阪の出版社の本だ。東京のうどんの悪口をさんざ言ってきた関西人が、讃岐うどんをどう迎え撃っているのかを知るための資料だ。
 先に全体的なことで言えば、「善戦している」ということだろう。関西の讃岐うどん店といっても、香川そのままを通す本場式や、関西の文化に合わせたアレンジ店もあり、それぞれ商売に励んでいるのがわかる。関西と讃岐の違いはいくつもあるようだが、うどん玉の重量では、讃岐うどんの「小」が200グラム程度で、関西は240グラムが標準らしい。ダシは、讃岐ではイリコ、関西ではイリコにコンブやカツオも混ぜてダシをとる。だから、関西人になじんでもらえるようにコンブダシも加えるという店もあるようだ。あるいは、異文化にあまりなじみがない年寄りには、関西風に柔らかくゆでて出すという店もある。想像で言うのだが、讃岐うどんの歯ごたえは、関西の老人にはつらいと思う。必ずしも歯のせいではなく、何十年ももちもちしたうどんを食べてきた人には、讃岐の腰の強いうどんはなじめないのだろうと想像する。
 この本の京都編が、なんとも興味深い。じつはこの本を買う直前に、京都でうどん食べ歩きをやってみたのである。結果は、「う〜む?」である。高くて、まずいのだ。うまいかどうかは個人の好みだが、値段は明らかに高い。たかだか1杯のうどんが800〜1200円もしたら、観光客は喜んでも、サラリーマンの昼食にはならない。はっきり言えば、京都でうまいうどんに出会ったことがないのだ。
 この本の「京都編」では、こう書いてある。「実は、京都は、さぬきうどん不毛の地なんです」。京都にも讃岐うどんの店ができるのだが、間もなく閉店してしまうのだという。きつねうどんに代表されるような、甘いダシとあぶらあげ、そしてやわらかいうどんに対する強烈な愛着が京都人にはあって、辺境の讃岐ごときは都の力で蹴散らされるらしいのだ。うどんに関しては、京都は大阪よりも保守的らしい。
 さあ、京都在住の食文化研究者が、きっとコメントを寄せてくれるでしょう。他の方も、どうぞ。それはそうと、讃岐うどんの波は関東にも吹いているのに、愛媛には吹かないのはなぜだろう。愛媛さんは、そんなに香川さんが嫌いなの?