いまさら、わざわざここで言うまでもないことだが、私は教養の無い男である。教養が無い理由の半分は、頭が悪いから教養を身につける学力に欠けているからであり、もう半分は、「そもそも教養なんて、バカらしい」と思ってきたからでもある。
学校の勉強をきちんとするのが、「教養を身につける」ことなのだろうと、あやふやに考えていた。学校で教養を学び、世間では常識を学ぶのだろうが、そういう意味では、私には教養も常識もない。
教養のないまま生きてきて、さして困ったことはない。それはなぜだろうかと、ヒマに任せて考えたことがある。
高校時代に、すでに、いわゆる第三世界に興味があった。アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった地域だ。1960年代の、貧しく、無知な高校生にとって、安く簡単に情報を仕入れるには新書と文庫なのだが、この場合、新書は岩波も中公もあったが、文庫では岩波文庫以外、私が求める資料はないだろうと思った。そこで、書店で岩波文庫の目録を読んでみたら、『コーラン』(井筒俊彦)が1964年の改版で出ていることがわかったが、これ一冊だ。李伯、杜甫といった中国の古典はあるが、私が知りたい地域に関する本は皆無といってもいい状況だとわかった。ちなみに、その傾向は、40年たった現在でもほとんど変わっていない。
私が知りたい世界は、「岩波の教養」でカバーしていないということは、私が知りたいことは教養ではないということになる。とすれば、教養なんてクソ食らえ。高校生の前川少年は、こう思ったわけだ。
以後、今日まで、東南アジアや南アジア、そしてアフリカなどに興味を持ち、ライターになって文章を書いてきたが、教養がないことで苦労したことはない。日本の保守本流が大事にしている「教養」で、アジアやアフリカを見れば、ロクなことはないとわかっているからだ。
日本人がアフリカを描こうとすれば、ヘミングウエーやアイザック・ディネーセン(あるいはイサク・ディネセン。本名カレン・ブリクセン)、あるいはリビングストーンといった西洋人の目と頭を借りないと論ずることができないのが「教養」ならば、そんなものはいらない。
漠然とは把握していた「日本人の教養」とは、具体的にはどういうもので、その歴史的変遷はどういうものだろうか。例えば竹内洋の『教養主義の没落』(中公新書)を読んでみれば、私の勘が当たっていたことが確認できる。旧制高校が日本人の教養を育てたのであり、それは中国古典、西洋思想、そして日本の古典に、『出家とその弟子』(倉田百三)のような当時の新刊である。だから、万が一、南アジアやアフリカを考えなければならなくなった教養人は、杜甫や三国志やモンテスキューやロマン・ロランを持ち出さないと、何も言えないのだ。カンボジアの話をするなら、フランス人アンリ・ムーオから始めないと話は先に進めない。ベトナムの話なら、マルグリット・デュラスの「愛人」か、フランス映画「インドシナ」から始めるのが、日本の女性雑誌の常識だろうか(今はそれさえしないだろう。買い物に、映画は必要ない)。
世界文学全集だって、実質上は西洋+中国古典が「世界」なのである。音楽は西洋音楽一辺倒だし、第三世界を排除して考えることが、日本人の教養だったのである。
だから、私は教養を身につけようという気はなかった。岩波の本など読まず、若い頃は京都大学関係者というか、のちに国立民族学博物館のスタッフになる方々の著作を読んでいたのである。
ところが・・・という話は、次回。