367話 日本最初の機内食の本

 ひと月に1、2度、海外旅行関連の本のチェックをやっている。最近の調査でひっかかったのが、『空飛ぶビーフ はばたくチキン』(やまかづ、文芸社、2011)という本だ。アマゾンの説明を読むと、機内食の本らしい。
 海外旅行をしたことがある人など、いまどき珍しくもなく、だから機内食を食べたことがある人もいくらでもいるのだが、私が知る限り、この本は機内食に関する日本最初の本になるはずだ。海外旅行が自由化された1964年以降で考えても50年近く、誰も機内食の本は書いていないのだ。国会図書館やアマゾンで「機内食」をキーワードに検索すると、この本とともにヒットするもう1冊は、『世界の機内食』(旅行読売出版社、1984)だけだ。もちろん、こちらもとっくに入手済みだからわかるのだが、単行本ではなくムックだ。ファーストクラスの機内食の写真などが豊富だが、情報量としてはたいしたことがない。だから、つい先月、「おお、いよいよ、本格的な本が出たか!」と注目したのだが、アマゾンで見る表紙や出版社の素性から判断して、内容の薄さは容易に見当がつく。しかし、日本最初の、1冊まるごと機内食の本なのだ。「1冊まるごと」というのは、飛行機の本に機内食関連の設備の説明があったり、添乗員の思い出話に機内食が取り上げられることはあったが、1冊まるごと機内食の本で、それが日本最初なのだから、ぜひ読んでみたい。
 しかし、どう考えても、薄い内容の本なのだ。139ページの本で、1100円。スカスカだな。類書なしの本なら、購入のハードルはかなり低くなり、すぐさま「1-Clickで今すぐ買う」をクリックしがちだが、さすがに不安で、「ショッピングカートに入れる」をクリックして、しばらくようすを見ることにした。中古市場である「マーケットプレイス」に出品されれば、価格次第では買ってもいいという方針だ。
 神保町に出かけたとき、できれば現物を確認して、買うかどうか判断しようと思った。三省堂、在庫なし。東京堂、在庫なし。書泉ブックマート、在庫なし。新宿に出て、紀伊国屋書店。新宿本店で検索すると、新宿南店にあることがわかったが、帰宅直前だったので、わざわざ行く気にはなれず、結局、現物には出会えず。
 その後、アマゾンではいつまでたっても「中古商品」は出品されず、我慢できずに、ついに1-Click。
 すぐに届いたその本は、私の予想をはるかに下回るスカスカ本。20分で読了。筆者は機内食業界に身を置いたことがあるようだが、そういう貴重な体験に基づいた内部情報など、見事に、まったくない。私がまるで知らなかった新情報などなく、私でも気がつく間違いはある。これが、日本初の実力なのだ。
 いままで、なぜ機内食の本が出なかったのか、その理由は簡単だ、出しても売れないと出版社が考えたからだ。機内食を正面から研究したいとか、それほどではなくても機内食エッセイを読みたいという程度でも、そういう読者はほとんどいないということだ。
 私は、機内食だって、旅行文化や食文化を知る興味深いテーマだと思う。
 機内食の歴史的変遷という点でいえば、サンドイッチから始まった機内食が、どのように姿を変えてきたのか。機内食に初めて米飯が登場したのはいつなのか。どこの航空会社が初めてなのか。ハイジャックと機内食。食器の変化など、調べればおもしろそうな事実がいくらでも出てきそうだ。
 機内食の民族文化というテーマでは、それぞれの航空会社の機内食における民族文化に関する研究がおもしろそうだ。たとえば、大韓航空における、機内食と韓国料理の関係。あるいは、機内食の日本そばを、非日本人はどうやって食べているのか。話題をもっと広げれば、機内食の食べ方に見る民族性だって、おもしろい。かつて書いたことがあるのだが、西洋人がナイフとフォークで食べ、日本人もぎこちなくナイフとフォークで食べていると、南アジアの人々は初めからフォークとスプーンで食べているといった違いだ。あるいは、これもずいぶん前に書いたことだが、機内食をコース料理のように、サラダから1品ずつ食べていく西洋人を見かけて、食文化の違いを実感したこともある。
 機内食情報は、ネット上にはいくらでもある。写真がないと説得力がないテーマだから、印刷媒体では不利になる。ひとりで世界の航空会社を相手にするわけにはいかないので、多くの人が協力していかないと、豊富なデータが集まらない。そういう意味で、ネットの画像は貴重なのだが、「撮影して、終了」というのが多いので、情報が少なすぎる。食器や、調味料など、文字解説が必要な事柄に対しては、情報が少なすぎる。この本の著者も「やまかづの気ままにマンゴー」というブログhttp://yamakadu-mangozoku.blog.ocn.ne.jp/blog/cat11240220/ を持っていて、旅行関連のエッセイを書いている。皮肉にも、有料の本よりも、無料のネット情報の方が内容が濃いのだ。
 インターネットの機内食情報を眺めていて気がついたのは、世界のトイレ情報と同じだなあということだ。食べる話と出す話というのは、旅行中に誰でも体験することで、話題になりやすく、簡単に撮影して、ネット上に公開するという点で同じだ。しかも、解説や考察を加えず、撮影しっぱなしという点でも、共通している。
 ネットの画像だって、やりかたしだいでは、かなり活用できて、遊べる。数年前に私が遊んでいたのは、「韓国の航空会社の機内食におけるキムチの研究」だ。このテーマで2時間ほど遊び、おおいに楽しんだ。偉そうに言うと、これは映像人類学もどきの行為で、じつは私のパソコン遊びで長い時間を消費しているのは、映像から情報を探しだすこういう遊びなのだ。