382話 イスラエルのことから

 四方田犬彦の雑文集『心は転がる石のように』(ランダムハウス講談社、2004)のなかで、読み応えのあるのは、やはり第3章のイスラエル滞在記だろう。著者が2004年にイスラエルにしばらく滞在し、研究生活を送るという話を聞いた友人たちの反応は、70年代に韓国で教員生活を送ると決まったときの友人たちの反応と同じだったという。「よくも、まあ、あんな国に、なぜ・・・」という反応だ。
ここ数年の間に韓国に興味を持った人には信じられないだろうが、かつて韓国はアメリカ帝国主義と手を結んだ独裁政権だというイメージが強かった。北朝鮮に対しては、賛美も誹謗もあったが、韓国について堂々と賛美する言論人は少なかったように思う。「韓国観光」とは、売春旅行とほぼ同義語だった。パンチパーマで腕に金のブレスレットをつけたダブルの背広を着たおっさんが行くのが、当時の韓国のイメージだった。1990年代になっても、まだそういうイメージの時代だった。
 四方田がイスラエルをどう感じ、どのような生活を送ったのかという要約をここでする気はない。興味があれば、この本を読んでみればいい。
私はイスラエルにまったく興味がないので、知識もなかった。この本でいくつかのことを教えてもらったが、同じ時期に東南アジアを旅していた私の印象と似ていることがあった。四方田があげている2004年のイスラエルの若者の気になる印象は、次の3点だ。
1、坊主頭
2、ローライズ・ジーンズ
3、入れ墨
 同じ時代の東南アジアでも西洋人風の旅行者に、坊主頭がやたらに多いというのが私の印象だった。それはイスラエルだけの流行ではなく、この時代の欧米でもなぜか、流行っていた。日本でも同様だった。坊主頭の有名人は何人もいた。四方田は「男も女も、坊主頭が多い」と書いているが、女の坊主頭の旅行者を見ていないが、バンコクのカオサン地区にでも行けば、きっといたのだろう。
 ジーンズの股上が「危ない位置」ぎりぎりまでしかないローライズは、タイ人にも旅行者にもいた。入れ墨も、同様だ。というわけで、「イスラエルの印象」として語っていることは、じつは西洋の若者文化と、日本などその影響を強く受けた非西洋地域の若者文化として広く見られる現象だった。
イスラエルのことをもっと知るにはどういう資料があるのか、調べてみた。明石書店には『○○国を知るための△章』といったタイトルのエリア・スタディーズというシリーズがあり、現在106冊刊行されている。『スペインのガリシアを知るための50章』とか、『マラウィを知るための45章』など、マイナー地域の本まであるのに、なぜかイスラエル編がない。明石書店からは、別枠でイスラエルの本も出ている。そういえば、このエリア・スタディーズのシリーズには、シリア編もヨルダン編もない。トルコ編もイラク編もエジプト編もないのに、東ティモール編はあるという変わった構成だ。
ちなみに、若いイスラエル人旅行者に興味があれば、次の本をお勧めする。”Israeli Backpackers”(Edited by Chaim Noy & Erik Cohen , State University of New York Press , 2005).イスラエル人パックバッカーの特異性はいかなる理由によるものかという文化的背景などを、若いイスラエル人自身が書いている論文がおもしろい。
 四方田は、イスラエルからパリに飛んだ。アラブ映画祭で映画を見るためだ。
「パリといえば日本人は、花の都だとか、薫り高きフランス文化とか、そんな時代遅れのことばかり考えているようだが、ごくわずかな観光地の外に一歩でも出てみれば、そこには北アフリカの文化が広々と横たわっていることがわかる」。
「観光」というのは、現実を見ないことだ。絵葉書やカレンダーに登場してくる景色を再確認するのが観光だ。だから、雑誌やテレビの旅番組には、アフリカ人のパリもインド人のロンドンも出てこない。中国人の露天商が並んでいるマドリッドも姿を見せない。日本人にとって、ヨーロッパはいつまでたっても白人だけの世界なのだ。
 こういう風潮を助長しているのが、世界遺産ブームである。