384話 ジンギスカン料理の、あの鍋

 『焼肉の誕生』(佐々木道雄、雄山閣、2011)は、いわゆる「焼肉」のほかにも、私がかねてから疑問に思っていた焼き鳥の歴史やジンギスカン料理誕生のいきさつなどについても詳しく書いてある。調査をやるなら、これくらいは資料を読みなさいという刺激を与えてくれる本だ。
 焼き鳥の疑問というのは、「焼き鳥」という名でありながら、ほとんどは豚の内臓を焼いているというのは、いったいいつ、いかなる事情で変化したのかということだ。この点に関して、著者はこう説明している。
 江戸時代には、スズメやウズラを焼いた小鳥焼きがあったが、明治になるとシャモなどを串焼きにした高級料理が誕生している。ポイントは、ニワトリは高級食材だったということだ。大正時代の資料では、鳥肉は牛肉の5割増しという価格だったらしい。だから、昭和初めの食べ歩きガイドには、焼き鳥とはいえ実は豚の内臓を焼いているといった記述がある。鶏肉を使った本物の焼き鳥はなかなか食べられない人々に、内臓を使った串焼きで廉価版を提供するといった事情があったらしい。
 ジンギスカン料理の誕生を、著者はこう書いている。
 グルメ雑誌「食道楽」(昭和6年5月号)に、「成吉思汗料理の話」(中野江漢)という文章が載っているそうで、それによれば中国の羊料理「烤羊肉」(カオヤンロウ)は、「ジンギスカンが好んで食べた料理だ」と北京在住の日本人が話しているのを聞いた時事新報特派員鷲澤與四二が、それではこれを成吉思汗料理としようと勝手に名付けたのだという。
 モンゴル人は肉を焼かないから、ジンギスカンと焼肉の関係には興味はないのだが、どうも腑に落ちないのは、烤羊肉のことだ。この料理を私は食べたことがないのだが、インターネットで画像検索すれば、そのほとんどは串焼きの料理だということがわかる。だから、串焼きを見て、日本人が鍋料理を思いつくというのは解せない。ネット上の画像をよく見ると、鉄板に肉や野菜を乗せた料理も見える。中国にも、「烤羊肉」という名前の鉄板焼きがあるということなのだろう。しかし、歴史的にみれば串焼きよりもはるかに後の時代に生まれたはずで、中国人がいまから100年ほど前にはすでに鉄板焼きをやっていないと、日本のジンギスカン料理は生まれない。北京の「正陽楼」という店では、立ったまま肉を焼いて食べているというイラスト付き説明があるのだが、どうも不自然なのだ。
 ジンギスカン料理に関して、私がもっとも興味を持っているのは、奇妙な姿をしたあの鍋そのものである。私が調べた限りでは、あんな鍋は世界にあれ以外ない。朝鮮料理のブルコギの歴史は浅く、日本のジンギスカン鍋を利用したものだろうと思う。昭和12年の雑誌広告には、あの小山のような鍋の広告が出ているのだが、どのようないきさつで生まれた鍋なのか、周到な調査をしている佐々木氏も、言及していない。ネット上にはジンギスカン研究サイトもあるのだが、鍋本体に関する詳しい報告はない。
 烤羊肉そのものについては、浜井幸子調査主任が詳しい情報を持っているはずだが、あの鍋の歴史となると、たぶん、詳しい人はいないのではないか?
 誰か、教えてくれ。