388話 それはそれは寒かった日と冷たかった日

 録画していた番組を見ていたら、おまけに「世界の天気」というミニ番組がついていて、おもしろそうなので世界各地の天気を見ていた。ソウルに「−7℃」という数字が見えて、「さすがソウル、寒くてたまらないなあ」と思ったが、ちょっと気になることがあって、映像を戻して(昔のビデオ時代なら、『巻き戻して』と言ったが、DVDやHDDではどう言うのだろうか)、確認したくなった。もう一度ソウルの画面を見たら、「最高気温−7℃ 最低気温−17℃」だった。その日の最高気温が、マイナス7度か。
 私は寒いのだ大嫌いだ。寒い場所も寒い季節も嫌いだから、東京より寒い場所に行きたくないから、寒い国を旅行したことがほとんどない。しかし、仕事なら好き嫌いなど言っていられないので、冬の新潟やソウルにも行った。偶然だったのか、新潟に行った日はさほど寒くなかったが、1月のソウルは身が切り刻まれるほど寒かった。ソウルに到着した日の街の寒暖計は、「−11℃」を示していた。その翌日の昼に同じ場所を歩いたら、寒暖計は「−1℃」を示していて、「どうりで、暖かいわけだ」と思った。零下1度でも暖かく感じることがあるのだと、体験的にわかった。
 いままで体験した最低気温ということでは、寒暖計の表示では、あの日のソウルが現在までの最低気温体験なのだが、「寒かった。冷たかった」という体感では、別の日のことを思い出す。旅行資金を工事現場で稼いでいた20歳前後に頃の、ある冬の日だった。
 鉄筋コンクリートの3階建て店舗併用住宅の生コン打ちの日だった。大工が作った型枠に生コンクリートを流しいれる作業で、私の仕事はコンクリートが型枠の隅々なで流れ込んでいくように、木槌で型枠をたたいたり、鉄棒を枠に突き刺したりすることだ。その日の朝は小ぬか雨で、作業を始める頃にはみぞれ混じりになっていた。生コン打ちという作業は、始めたら最後までやめるわけにいかない。現場のおっちゃんたちは、やけくそ気味に『アレと、生コン打ちは、始めたら途中でやめられねえんだよ! ヤルゾー』と、ヤケクソで吠えていた。中断すると、あとから打つコンクリートとの間に割れ目のような線ができていまい、強度に問題が出てしまう。みぞれが降っているからと言って、中断などできないのだ。
 作業だから、傘などささない。動きにくいから雨合羽も着ない。作業服はみぞれ混じりの雨で、たちまち下着まで濡れたが、そのまま2時間ほどの作業を続けた。はげしく動いているから、寒いというより手先の冷たさがつらかった。1階の壁に生コンを流し込むときは、雨も風も防げるわけで、下っ端が一番楽な作業をしているのだが、2階の床になると、みぞれ混じりの寒風吹きつける場所での作業になる。アゴが震えてきて、うまくしゃべれなくなる。気合を入れるために、みんな大声を出して仕事をしていた。
 昼ごろに作業を終えた。「みなさん、ごくろうさん。あったかいモン、食ってくれ」と監督がとってくれた出前のうどんが運ばれてきた。出前だから、ちょっと冷めているが、そんな文句は言えない。うどんだ、うどんだと、みんな心躍らせて丼を手にしている。私もうどんをもらい、さて食べようとして、箸を落としてしまった。指がかじかんで、ドラえもんの手になってしまったのだ(でも、たしか、ドラえもんは箸を使えるんだったっけ?)。箸を割れない。箸を持てない。箸を使えない。体が震えていて、左手に持った丼を、落としそうで怖い。台に丼をのせて、1本棒の箸ですくうようにして、うどんを食べた。
それが、わが生涯でもっとも寒く感じた日だ。