415話 『この便所で、クソするな』 後編

 前回の続きだ。
 いくつか内容を紹介してみようか。
 「健康」という項目には、「旅行者がかかる病気トップ10」が載っている。旅行と病気という話なら、マラリアだの下痢や肝炎だのといった話が出てくるのがまともな旅行解説書なのだが、そういう話題はいっさい出てこない。「病気」を示す語に、”illness”や”disease”を使わない。「軽いが、しばしば慢性になりやすい病」をさす”ailment”という見慣れぬ単語を使っている。それが、この本の特質だ。こういう語を多用するから、私の中3高野豆腐頭の英語力ではなかなか読めないのだ。
 病気の話のトップ10のなかから、ちょっと紹介してみよう。
1、誇張表現症・・・旅の話を始めると、ついつい話が大げさになっていく(わかるなあ、これ。ちょっとした事故でも、「死ぬかと思った」とかね。パリに2週間いただけなのに、「パリに住んでいた時にね・・・」とか)。
2、文化模倣症候群・・・別の言い方では、”Going Native”。インドに行くと、インド風の服を着て、インド人のように手で食べたりすること。「こういう患者は、インドや東南アジアや南米では見かけるが、スイスにはいない。この病は、長期間感染したままになることもあるが、たいていは帰国したとたん、たちまち完治する」。
3、英語発音障害・・・英語があまり通じない地域を長く旅していると、英語をゆっくりと大声でしゃべるクセがついてしまうこと(私の場合は、英語を母語にしない人と話していると気が楽になり、文法を気にかけなくなる。ブロークン英語の方が、お互いに楽だ。そういう会話に慣れてしまうと、イギリス人と話す時も元に戻れなくなって、どんどんヘタくそな英語になってしまうということはある)。
 タイトルの印象とは違い、この本にはトイレの話は出てこないが、食べる話は出てくる。「食べること」の項目には、「わが生涯最良のメシ トップ10」があって、その第1位はシンガポールバーガーキングだ。
 バーガーキング名物の巨大なハンバーガー「ワッパー」は、パテを少々焼き過ぎてはいたが、いたって普通のものだった。しかし、「インドネシアカリマンタンで、6週間もコメだけを食い続ける生活をしたあとでは、生涯最高の食べ物だと思えるほどのうまさだった」。
 この文章以外の部分でも、著者は「コメは食い飽きる」と書いている。コメに対するオーストラリア人の反応を知るという意味でも興味深い部分だ。多くの日本人なら、「おかずが少ない」とか「うまいおかずがなかった」という不満を感じても、6週間のコメ生活を嘆くことはあまりないだろう。とはいえ、実を言えば、この私、「6週間、コメなしの生活」よりも、「6週間、コメだけの生活」の方がつらい。
 「音楽」の項目をざっと読んでみたが、つまらなかった。著者は、英語のポップミュージックに浸りきっていることがわかる。考えてみれば、著者は地球を移動することは楽しんでいるようだが、異文化接触を楽しんでいるわけでもなさそうで、もし旅先で出会っても、彼とは多分楽しい語らいはできないだろうと思う。これは、世代間ギャップか。著者は私より10歳若い。 
 内容の多くは旅行関連の冗談と思い出話と寸評で構成されているが、書名とは違い、ときどきまじめな顔をのぞかせることもある。第1項の”WHY”では、旅に出る理由や目的について論じている。「風景が見たい」とか「現地の人と触れあいたい」などといった意見や希望に対して、コメントを書いているのだが、最後に次のような希望を載せている。もちろん、こうした希望やそれに対するコメントも、著者が考えたものだ。
“I want to find myself”
 おお、出た。自分探し。こういう希望に対して、著者はこう書く。
 「う〜む。自分の国で見つからないのに、言葉も通じない外国に行ったら簡単に見つかるわけ? でも、まじめな話、もしあんたが、手がつけられないほど短気で身勝手で民族差別主義者で、誰かを殴らないと今夜寝られないというような人間なら、旅は自分のそういう異常な性癖に気付かせる絶好の機会ではある」。
 彼はコピーライターという職歴もあるようで、その片鱗が随所に見える本だ。
 というわけで、予想した内容とはまるで違う本だったが、けっこう楽しめた。まだまだおもしろい話が載っているから、あとは自分でどうぞ。その方が私のインチキ解釈と違って、正確でしょう。Amazonで買うと、安いよ。