524話 Where are you from?

 テレビ東京の人気番組「youは何しに日本へ?」は、日本の空港にいる外国人に、日本に来た理由をたずねるという構成で、場合によってはそのあと同行取材する。取材者がアップアップしながらギリギリの時間と能力と予算で作っているのが、良くも悪くもテレ東らしい。この番組の唯一にして最大の問題は、アジア人にほとんど対応していないことだ。英語の通訳しか用意していないから、英語を話さない外国人を無視する結果となっている。
 この番組を見ていて、その昔、ケニアのナイロビに滞在していた時の雑談相手だったオーストラリア人アーサーのことを思い出した。番組のなかで、出身地をたずねるやりとりで思い出したのだ。アーサーはアフリカ旅行で体調を壊し、東アフリカの楽園ナイロビで療養生活を送っていた。たまたま彼と同室になったヒマな旅行者である私は、病人でもないのに安宿でいつもアーサーとおしゃべりを楽しんでいた。夕食を終えたら、あとはおしゃべりか読書くらいしか楽しみはなかった。30年前のあの頃も現在も、ナイロビは日没後に散歩するには危険な街だった。今は、昔よりももっと危険らしい。
 ある夜も、互いのベッドに寝転んで、病人の会話のような姿で、取り留めのない話をしていた。そこに、若い女が現れた。ブロンドの女だ。この部屋は3人用の相部屋だから、ドアはいつもあいている。
 「きょうは満室だそうで、どこかこの辺で泊れそうな宿は知りませんか?」
 「宿はこの辺に何軒かあるけれど、空室があるかどうかは知らないなあ。そういえば、満室の日は、ここの屋上で寝ているヤツがいる」
 「でも、私、寝袋を持っていないので・・・」
 「必要なら、これ、貸してあげるよ」
 ベッドの下から私の寝袋をとりだした。
 そういういきさつから我々の雑談に彼女も加わったのだが、話がなかなか弾まない。 彼女は、その英語の発音からアメリカ人だということは明らかで、文化人類学を研究する大学院生だといった。久しぶりに大都会ナイロビに出てきたと言う。誠実そうではあるが、話していても、まるでおもしろくない。その時私はまだ30歳。彼女は20代前半だから、それほどの年齢差があるわけでもない。
 部屋の前をジョセフが通りかかった。この宿の従業員で、ギリヤマ族の若者だ。
 「ジョセフ! 今夜は満室だそうだが、屋上なら寝ていいか? 彼女、宿がないんだとさ」
 いつもニコニコしているジョセフが、軽やかに答えた。 
 「ああ、いいよ。ところで、あなたの出身地は?」
 「ステイツ」
 彼女は、その一言だけ口にした。
 「ええ?」
 「ステイツ!」
 そのとき、温厚を絵に描いたようなアーサーが突然大声をあげて怒った。
 「ステイツといえば、世界の誰もがアメリカのことだとわかると思っているのか! それが、アメリカ人の傲慢さなんだよ。なぜ、相手にわかるような話し方をしない!」烈火のごとき怒りだった。大学院生は「でも・・」と口をはさもうとしたが、アーサーは許さなかった。
 のちに、アーサーとの会話を思い出すと、まるで彼が日本語で話をしていたのかと思うほど、会話のひとことひとことが記憶に残っている。その理由は、私の英語力に合わせてしゃべってくれていたからだ。だからといって、幼稚園児相手のような会話だったわけではなく、かなり難解な単語も使ったが、そのときは私の辞書でその単語をひいて、指さした。「こういうことさ」と、説明してくれた。 
  旅慣れた人は、世界には英語を話さない人が多くいることがわかっている。だから、英語を母語とする人やかなり流暢に話せる人は、英語をあまり話さない人にどうしゃべるかという訓練ができている。あるいは、そういう気遣いができる人が、旅先で楽しいおしゃべりができる人なのだ。旅行者個人の性格にもよるが、概して若い旅行者は異文化に対する配慮が欠けている。英語があまりできない人相手に、工夫してしゃべる訓練ができていない。ちょっと話して、相手が理解できないようだったら、面倒臭くなって、 「ああ、いい。もういいよ」とわかるように再度話すことを拒否して、仲間とだけ話すようなヤツらだ。
 そういう会話ができない人々の代表が、アメリカ人である。テレビ番組「youは何しに日本へ!」を見ていて、あのときのアーサーを思い出した。
空港でリポーターに出身地を聞かれた外国人はみな国名を答えるのに、アメリカ人の多くは違うのだ。彼らは、こう答える。
 「LA!」(ロサンゼルス)
 「DC!」(ワシントンDC、つまりワシントン特別区のこと)
 「エル・パソ、テキサス」
 都市名があまり有名ではないと思うと、都市名のあとに州名をつけたす。世界の人間は、誰でもアメリカの地理に明るいと思い込んでいる世間知らずが、アメリカ人だ。私自身がこういう返答をあまり耳にしていないのは、アメリカ人旅行者にはまったくと言っていいほど出会わないからであり、ある程度旅をしてきた者は、出会ってすぐに出身地を聞いたりしないからだ。長期旅行者は、毎日のように出身地(出身国)を聞かれて、うんざりとしているから、自分から聞こうとはあまり思わないものだ。