643話 きょうも散歩の日 2014   第1回

 旅は、いつでもできるわけじゃない

 [前口上 この旅物語は、旅から帰ってすぐ書き始め、1週間ほどで3万字を超え、10日目で5万字を超え、6万字を超えた今もまだ完成していない。本来なら、一応であれ、書き終えたあと全体を眺めて構成を考え、校閲したいのだが、いまも注文した資料の到着を待っているところなので、「執筆終了」と言えるのがいつなのかもわからない。あまり長くなると、週1回の更新だと1年分、天下のクラマエ師の「旅行人 編集長のーと」並みの更新頻度なら数十年分にもなってしまうので、そろそろ書き終えようと思う。そこで、最初の部分から順次公開することにした。ガイドブックや多くの人の旅行記や、ウィキペディアに書いてあるような事を私がまたここで書いてもしょうがないので、旅行地の解説などは意識的にしていない。普通の旅行記とはかなり違う構成になっている。印刷媒体なら、きちんと説明すべき事柄でも、こういうデジタル媒体なら疑問に思ったことは自分ですぐに調べられるので、親切な構成にしていない。必要なら、画像も自分で探してください]
 

 旅に出ると決めたのだが、問題がひとつあった。現在、ふた月に一回の割合で定期診療を受けていて、それに加えて、年に一回、やや精密な検診を受けている。人間ドックというほどではないが、バリウムを飲んだり心電図をとったりしている。9月にその検診があり、10月の定期診療のときにその結果を聞くというスケジュールになっていたのだが、そこで「旅行をするのになにも問題はありません。ご旅行を楽しんでください」と医師が言うに違いないと勝手に決めて、診療直前に航空券の手配を終えていた。10月の定期診療を終えてから航空券の手配をしたら、航空券が高くなり、出発日を遅くすれば次の定期診療に間に合わなくなる。だから、見切り発車を決めた。年に一度の定期診療の結果報告の3日後に日本脱出を決めていたが、もしも医師が「ちょっと気になる点があるので、もっと精密な検査を・・・」などと告げられたら、旅などのんきにしている場合ではなくなる。
 私の体が万全だという保証などまったくない。どこか悪いという自覚症状はなにもないが、自覚症状なしで、重い病を告げられる例などこの世にいくらでもある。身近な例でもいくつかあるが、アジア文庫の大野さんの場合でも、「最近ちょっと体調が悪い」という自覚症状があったにしても、精密な検診を受けてからほんのふた月ほどの命しかなかった。人の命のあっけなさを感じた瞬間だった。今年会った人に、来年もまた会えるとは限らないというのは、誰にでもいえることだ。
 人力世界旅行をした関野吉晴さんが、その大旅行(グレートジャーニー)を終えたときの挨拶がこういうものだった。
 「私は幸せ者です。旅行地は平和でした。旅行を支援してくれる仲間がいました。家族も私も健康で、旅行をすることに何の支障もありませんでした。すべての幸運が重なって、私の旅が実現しました」
 「私と家族の健康」ということばが、ある程度の年齢になるとよくわかるようになるが、若いとわからないというわけではない。20代なかばの旅行者が、「父倒れる」の報を受けて帰国し、家業を継ぐことになり、それ以後、旅生活から足を洗うことになったという例も知っている。今、旅ができるのは、いくつもの幸運が重なったおかげなのだとわかってくる。きょうの旅行が明日も同じようにできる保障などなく、今年と同じ旅を来年もできるとは限らない。そんな保障など、どこにもないのだ。自分が健康でも、家族が問題になることだってある。
 この文章の校正をしているたった今、年下の友人の長男が急死したという知らせを受けた。いつまでたっても起きてこない息子を起こしに部屋に行くと、亡くなっていたそうだ。誤嚥による窒息死だったという。この20代の若者に、「翌朝」は来なかった。今30歳だからと言って、「あと50年の人生がある」と誰にも保障されているわけではない。この私にも、「明日」が保障されているわけでは、もちろんない。だから、旅ができそうなときに、旅をする。旅のベストシーズンは、旅をしたくてたまらない時であり、旅ができるその時だ。
 心配なひと月を終えて、10月の定期診療の日が来た。9月の検査の結果を聞く日だ。
担当医は、パソコンの資料を見ながら言った。
 「大丈夫ですね。特に悪いところはありません。過去に大病をしたという形跡は、よほど注意深く調べないとわからないほど治っています。さまざまな数値も、許容範囲内ですね」
 医師の話を聞いてひと安心し、「念のため」ということで緊急時用にニトログリセリンを処方してもらい、出発が決まった。ちょっと気になっていた歯も、旅行に耐えられるように応急処置をしてもらい、痛みは完全に消えた
 よ〜し、Vamos ! ! !(行くぜ)