664話 きょうも散歩の日 2014 第22回

 パエジャ


 話は前回のイカリング揚げから、パエジャに移る。Paellaという料理は、スペインでは「パエージャ」あるいは「パエーリャ」と発音する。日本で「パエリア」と呼ぶのは、英語の「パエラ」か「パイエラ」という発音からの影響かもしれない。このコラムでは、パエジャと表記する。
 昔から、スペインでパエジャを食べてみたいと思っていたが、ひとり旅ではあの大きな鍋料理を注文するわけにはいかないと思っていたのだが、あれは十数年前のコルドバだったか、レストランの前にひとり前くらいの小さな鍋のパエジャの写真があり、7€だったか8€だったかの値段が表示してあった。ひとり前のパエジャを発見し、うれしくなってすぐさま注文した。15分ほどしてテーブルに届けられたパエジャは、ちゃんとひとり用の鍋に入っていたが、その鍋は樹脂製だった。なるほど、冷凍パエジャを加熱したのか。その後、街を散歩すると、同じパエジャの写真を店頭に示したレストランがいくらでもあり、どこかの食品メーカーが大々的に売りだしていることがわかった。
 『ヨーロッパ・カルチャーガイド スペイン』(ECG編集室編、トラベルジャーナル、1997)の、「サフランの花咲く頃」(高森敏明)というコラムを読むと、パエジャに関するこんな記述があった。
 「最近スペインのバルやレストランの前で、『パエリャドールPAELLADOR』というパエリャの写真の入った看板を見かける。その店には入らない方がいい。冷凍の変なパエリャを出している店だから」
 これは、私が見た小鍋仕立てのパエジャのことだろう。1990年代のスペインでは、たしかに「冷凍のパエリャは変な物」だろうが、味はそれほど変な物ではなかった。
同じコルドバでバルに入ったとき、調理場にホットプレートがあった。日本なら焼肉やお好み焼きに使うのだが、スペインでは何に使うのかと気になった。タパス(つまみ)を食べながら、チラチラとホットプレートに注意していたら、おやじがふたを開けるところを目撃した。たった今、パエジャができたのだ。テレビの旅番組でしばしば紹介される料理だが、日常的なパエジャには冷凍品もホットプレートで作ったものもあることがわかった。冷凍品を、ホットプレートで加熱したのかもしれない。
 さて、今回のバルセロナ。バルやレストランが、パエジャにタパスをつけたセットメニューを黒板に書いて客を誘っている光景はよく見た。スーパーマーケットの店頭販売やデパートのおかず売場でパエジャを売っていた。どちらも、主に観光客相手の商売だろうと思われる。コルドバで見た「おひとり様用冷凍パエジャ」は見かけなかった。
 あるカフェテリアにパエジャと、パエジャの米を細いパスタに代えたフィデウアを見つけたので、さっそく食べてみた。米でもパスタでも、どちらもパラパラと軽い仕上がりで、今まで食べたパエジャのなかではもっともうまかった。翌日も同じ店に行き、同じようにパエジャとフィデウアの両方を食べてみたのだが、前日とはまったく別物だった。前日はパラパラとしていたが、翌日はべちゃべちゃの堅めのおじや状態だった。フィデウアも同様にべちゃべちゃだった。こういうことがあるから、気になることがあると同じ店に2度以上行くことになる。
 パエジャの水分量というのがずっと気になっていた。いままで食べたパエジャには、パラパラのものと、ベチャベチャのものがある。どう違うのか知りたくて、スペイン料理関連の本を何冊か読んだ。料理書の説明では、鍋で加熱したあとオーブンに入れてさらに過熱するので、パラパラなのが一変的なようだ。しかし、バルセロナがあるカタルーニャ地方では、ちょっとべちゃつく水分の多いパエジャが好まれるのだという。例えば、バルセロナのレストランで修業した日本人料理人は「カタルーニャのパエジャはおじやのように米が柔らかい」と書いている(『バルセロナの厨房から』高森敏明、白水社、1990)。筆者は、上に引用した「サフランの花咲く頃」というコラムを書いた人でもある。
 その説にしたがえば、二日目に食べた軟らかいパエジャがカタルーニャ風だったということになる。では、前日に食べたパエジャがなぜパラパラだったのか。それはおそらく、作ってから時間がたっていたからだろう。直径70センチ以上はありそうな大きなパエジャ鍋で作って、注文があれば少しずつ客に出していく。カフェテリアでは常に保温状態にあるから、時間がたつにつれ乾燥していき、私が最初の日に食べたように、パラパラになっている。そういうことだろう。大量に作って、注文があれば電子レンジで温めて出すという店でも、パラパラになりがちだ。
 今までの体験で言えば、日本の「並み程度のチャーハン」を超えるパエジャにはまだ出会っていない。つまり、期待するほどうまいもんじゃないということだ。もちろん、最高レベルのものを食べていない者の断定だから、情報の正確さには大いに問題がある。期待が大きすぎるというのも事実だ。
 次回は、パエジャの意外な歴史を書く。