西洋人の食事作法
スペインで食べたもののなかで、「もっともうまい!」と思った食べ物のことを書くのをずっとためらっていた。なぜなら、その食べ物がスペイン料理とは言えないし、食べた店がやや特殊だからである。ネットの旅行記には登場しても、テレビの「スペイン美食紀行」といった番組では絶対にといっていいほど紹介されない店であり、料理である。
フレスコ(Fresc Co)という食べ放題のレストランは、そのホームページによればスペイン国内に8店、アンドラに1店ある。店によってシステムがちょっと違うらしいが、私が知っているバルセロナ店を例にして解説してみよう。
道路から店内を覗くと、ベジタリアンとか自然食とか、その手のレストランのような印象を受ける内装だが、店頭に食べ放題の看板が出ているので入ってみることにした。のちにホームページを読むと、「安全な野菜」を強調していて、私の印象があながち間違いではないことがわかった。ひとり旅をしている者には、ひとりでもいろいろな料理が食べられる店が魅力的だ。この店の、ランチタイムが9.95€、夜と週末が11.95€というのが、高いか安いかは、食べてみないとわからない。食堂の安い定食が10€(飲み物別)程度というのが、スペインの相場だ。
店に入ると、まずトレイを手にする。大きな皿とスープ碗があり、スープは2種用意されている。もちろん、スープを飲むかどうかは自由だ。カウンターを進むと、サラダコーナーになる。レタス、セロリ、ニンジン、タマネギ(白、赤)、ゆでたトウモロコシ、ゆでたジャガイモ、薄切りキュウリ、キュウリのピクルス、塩漬けのオリーブなど十数種類の野菜が並んでいて、私の心がときめいてしまった。ゆでたジャガイモがある、薄切りキュウリがある。赤タマネギがあり、小さく切ったハムがある。私の大好物のポテトサラダがすぐできるじゃないか。皿に野菜を山盛りにして、脇にオリーブの漬物も多めに入れた。料金には、ビールかソフトドリンクのひと缶も含まれている。水も用意されているが、ペットボトルの水は別料金だ。
マヨネーズを含め、いくつかのサラダドレッシングが用意されていて、各種調味料もあるから、自分好みのポテトサラダを自作した。これがスペインで食べたもっとも感動的な食べ物だった。「うまい、うまい」と食べていて、「ああ、しまった」と思った。食べ放題なのに、このポテトサラダとオリーブの塩漬けで腹八分目になってしまった。店内を見回すと、ひとり客が比較的多いことに気がつく。この店なら、好きなものを好きなだけ自由に食べられるので、あまり酒を飲まない人や、ひとりで食事をしたい人、とりわけ女性のひとり客に向いている。客の服装を見ると、労働者風や目立ったファッションの若者もいない。スーツ姿も少ない。
店の奥には、すでに作ってある煮込み料理名などが保温されながら並んでいて、その脇のグリルコーナーではステーキなどを、その場で焼いてくれる。もちろん食べ放題だ。私は煮込んだ肉をほんの少しにパスタを添えた。入り口付近のテーブルはコーヒーコーナーになっていて、コーヒーマシーンとケーキや果物が置いてある。私はデミタスではない普通のカップに、エスプレッソを2杯分注ぎ、小さなチーズケーキを小皿に乗せた。コーヒーを2度お代わりし、エスプレッソにして合計6杯を砂糖・ミルクなしで飲んだ。カフェでエスプレッソを飲めば1杯2€として、コーヒーだけで12€分になり、元を取ったことにはなる。
店の客を観察すると、日本の食べ放題の店のように、家族や仲間がそろってやってきて、皿に料理を大盛りにして、「何とか元を取ろう」と懸命に挑んでいる光景はここにはない。そういうあさましい家族はいない。
そんなことを考えながら日記にメモを書いていて、「ああ、そうか」と初めて気がついた。スペインには食べ放題の店がほかにもあり、それらの店の事情を知らずに書くのだが、このフレスコのシステムは、西洋人の食事スタイルをそのまま表しているのだ。スープか前菜のサラダをまず食べて、そのあと肉などを食べるというコース料理を自分で作っているのだ。だから、日本の食べ放題の店のように、最初にローストビーフとマグロを取るとか、まずエビとカニを皿に山盛りにして・・・というような食べ方はしないのだ。きちんとした食事は、順序を踏まえたコースにしなければいけないという習慣が身についているのが西洋人だ。
タイの新聞に出ていたエッセイを思い出した。筆者は、もう30年以上もバンコクに住んでいるアメリカ人ジャーナリストだ。
「タイ料理は好きだが、困ることがひとつある。レストランでは、コースを考えて注文しても、結局、注文した料理はすべてテーブルに並べられてしまうことだ。店は、食べる順序を考えてくれない」。
だから、かたくなに西洋の食習慣を守ろうとする人は、日本の鍋物などにも戸惑うらしい。フランス人がラーメンと食べると、まずスープを飲んでから、具や麺を食べるというコースの手順を踏みたくなるそうだ。