668話 きょうも散歩の日 2014 第26回

朝のひととき


 11月のバルセロナの朝は8時でもまだ暗いのだが、私は7時には起きるようにしていた。もう少し早く起きてもいいのだが、その時間にやっているカフェが近所にないので、7時に起床し、7時15分ごろにはいつものカフェのいつもの席に座っていることにした。
 その店は、7時に出勤する宿の早番のマネージャーに教えてもらった。彼女はその店で買ったコーヒーを飲みながらパソコンを見るのが、いつもの朝一番の仕事だった。
 その店での初めての朝食は、カフェ・コン・レチェとチュロスカタルーニャ語では、カフェ・アム・レッとシュロス)にした。ミルク・コーヒーと揚げ菓子だ。チュロス(単数形はチュロ)は小麦粉と砂糖を混ぜて練ったものを、断面が星形になるように絞り出して揚げたもので、起源は不明だが、中国の油条(タイでは、パートンコーという)が伝わったものという説もあるが、まゆつばだと思う。このチュロスとミルク・コーヒーや液体のチョコレートにつけて食べるのが、スペインの代表的朝食のひとつである。
 ヨーロッパ大陸の朝ご飯は、コーヒーとパンという簡単なものが普通で、タマゴやベーコンなどを食べるイギリスの朝食とはかなり違う。スペインの朝食は、いまではコーヒーに、クロワッサンかドーナッツのような甘い菓子パンを食べることが多くなっているが、ちょっと前はビスケットや、トウモロコシや豆や雑穀で作ったパンや粥を食べていた。
 翌朝も、このカフェに行くと、「カフェ・コン・レチェとチュロスですね」と働き者の女性店員が言った。きのうの注文を覚えていたのだ。この店は40代の女性ふたりが早番らしい。常連が多い店なので、私のように見るからに異邦人はすぐに覚えられる。
 コーヒーをたっぷり飲みたいし、油っぽい揚げパンはもういいから、「カフェ・アメリカーノ・イ・クロワッサン」(アメリカン・コーヒーとクロワッサン)と注文した。大都市では観光地ではなくても、薄いアメリカン・コーヒーはもはや特別なものではなくなっているのではないかという実験でもある。実験は成功し、注文を聞き返されることもなく、アメリカン・コーヒーが運ばれてきた。メニューを見ると、ちゃんと”Café Americano”とあって、メニューに載せるほど普通のコーヒーになっていることを確認した。食後にレシートを見たら、カタルーニャ語表記になっていて、”Café Americà”となっていた。さまざまなカフェで、「カフェ・アメリカーノ」と言ってみて、「ないよ」と言われたことは一度もない。濃いコーヒーをお湯で薄めるのかと思ったが、多分同じ粉を同じ分量だけエスプレッソ機に差し入れて、大目のお湯を注いでいるのだと思う。
 3日目以降は、店に入ってすぐにガラスケースのパンを指させば、そのパンとアメリカンコーヒーが出てくるのだが、甘いパンを食べるときは濃いコーヒーにしたいので、Café Solo(エスプレッソ、ミルクなし)にする。パンが甘いから、当然コーヒーに砂糖は入れないが、思ったほど苦くない。どこの国だったか思い出せないのだが、エスプレッソは砂糖かミルクを入れないと苦くて飲めないという記憶があったのだが、スペインでの私の少ない体験では、「濃い」という感じはまったくしない。日本で愛用しているコーヒーは、モーニングカップに、ネスカフェ・クラッシックをティー・スプーン山盛り2杯が適量なのだが、スペインのエスプレッソは、そのインスタントコーヒーよりも薄い気がする。
 朝の客を見ていて気がついたのは、酒を飲んでいる人がちらほらいることだ。作業服を着ている人は、どうやら、深夜からの仕事が終わったところのようだ。そういう人とは別に、朝から酒を飲む人たちがいる。『世界の食文化 スペイン』(立石博高)や『スペインうたたね旅行』(中丸明、文春文庫、2002)などで、スペイン人は朝食として強い酒を飲むという習慣が紹介されている。かつては、ビールも朝鮮のマッコリも、酒というより食事という意味合いが強かったのだが、スペインの朝酒は、アルコール度数の高い酒を一気にあおるらしい。ここから先の話は、酒に興味のない私が調べて書いてもしょうがないので、酒の文化を研究する方にお任せする。
 スペインの朝酒よりも深い興味があるのは、資料が見つからないので困っている問題だ。コップでコーヒーを飲む習慣だ。東南アジアから北アフリカにかけての地域では、お茶はガラスコップで飲むことも多い。トルコでは。紅茶専用の小さなガラスコップを使う。コーヒーは、私の知る限りだが、ベトナムからポルトガルまで、店によっては熱いコーヒーでもガラスコップを使うこともある。アイスコーヒーだけでなく、熱いコーヒーでもコップを使うことがあるのだ。スペインでもコーヒーをコップに入れて出す店を見かけることがあって、「なぜかなあ」と疑問に思うのである。熱くて、持ちにくいのに、カラスコップを使う理由がわからない。厚手のガラス製のコーヒーや紅茶の取っ手付きカップというのはわかるが、コップを使う理由がわからない。ポルトガルのガラオンはミルクをたっぷり入れたコーヒーだから量が多くなり、カップには入らないので、大きなコップを使うことはわかる。しかし、スペインでは、それだけ多い量のコーヒーはない。量が多くても、フランスではカップを使う。カフェ・オレは、取っ手のない丼で出すのが基本らしい。かつてパリ大学の寮に泊まっていたとき(夏休み中は安宿に変わり、誰でも泊まれた)、その食堂で丼入りのカフェ・オレに初めて出会った。
http://pmgb.net/BOL/cafeaulaitbol.htm
 紅茶やコーヒーや中国茶の研究は多いのだが、実用食器としての茶器や飲み方の歴史的変遷のどの研究はあまりないように思う。なぜコップで飲むのかという問題の解答など、ヒントをご存知の方、ぜひお知らせください。