693話 いつも輝く眼で

 武蔵野美術大学を定年退職したばかりの関野吉晴さん(冒険家、医師、ライター、元教授)に会った。研究会のあとの、とびきりうまい近大マグロの刺身を食べながらの立ち話だった。ここ何年間か、年に数回会って雑談をしている。
 「なんと、ぼく、今年、66ですよ。定年退職をする年齢になって、笑っちゃいますよねえ」と言って大笑いしている関野さんは、とても「老齢」には見えない。だから、自分の年齢を突き付けられる「定年」には笑うしかないのだろう。関野さんに始めて会ったのは、彼が横浜市立大学医学部の学生だった1980年前後だから、もう三十数年前ということになるのだが、「長い月日が流れた」という感じはまったくしない。
 「今までだって、好きなことをして生きて来たでしょうが、これからはフルタイムの無所属になったわけで、なにをやろうと考えていますか?」と質問した。
 「グレートジャニーの別ルートというのがあって、まだやっていないコースがあるんですよ。それをやりたいと思うんですが、中東ルートで・・・・」
 「今は、無理ですよねえ」
 関野さんの旅は、エンジンがついた乗り物を使わない。自転車や舟や馬や徒歩の旅だ。現在は中東をのんびり自転車で旅できる環境にはない。アジアとアフリカを結ぶルートでも、エチオピアジブチ―イエメンのルートも、エジプト―イスラエル―ヨルダン―シリア―イラクのルートでも、自転車やラクダで旅できる政治状況ではない。
 「だから、葦船の旅をしようと思っているんですよ」
 「ラーですね」
 ノルウェーの人類学者、ヘイエルダールは、1947年にペルーからイースター島をめざして帆船「コンティキ号」で旅をした。1969年には、古代エジプトの葦船がアメリカ大陸に渡る能力があったことを証明しようとカリブ海に向かった葦船が「ラー号」だ。私や関野さんと同世代で、「冒険・探検」物を読んできた元少年は、「ラー」とか「コンティキ」というキーワードですべてがわかる。
「ええ、そうなんですが、場所はインドネシアの島を巡ろうかと考えていて・・・・」
 その航海の話には深入りしなかった。私は冒険にも探検にも興味がない。だから、関野さんがやってきた大冒険には、実はほとんど興味がないのだが、冒険とは違う事柄には興味があって、会うたびに質問攻めにした。関野さんは行動の人ではあるが、肉体の移動だけに興味がある「足の人」ではなく、足も頭脳も同じように動く文武両道の人だ。だから、話がおもしろい。どんな人も引きつけて、そして安心させる魅力を持っている人だとわかる。
 関野さんと話していて、ふと思ったのは、会う機会がなかった植村直己さんも、そういう人徳があった人なのだろうと思った。宿などない村に入っても微笑めば、そのままいつまでも居候させてもらえる雰囲気を持っている。そして、もうひとつ、植村さんも同じだっただろうと想像できるのは、これからの自分の旅の計画や夢を、これほど楽しそうに生き生きと、嬉々として語る人は、彼の66歳という年齢とは関係なく、稀有なことだと思った。
 しかし、素直ではない私は、冒険話とは関係なく、関野医師に聞いておきたい疑問が頭に浮かんだ。
 「いままで旅をしていて、例えば飛行機のなかで、『お医者さまはいらっしゃいませんか!?』という、映画などでよく登場するシーンに出会ったことはありますか?」
答えは、意外だった。
 「ええ、何度もありますよ」
 「それは脳溢血とか、心筋梗塞といった危険な状況でしたか」
 「いや、幸い、そういう重い病気だったことはなく、過労とかその程度のことでしたね」
 「機内で医療活動をしたことで、航空会社がなにか厚遇するというようなことはあるんですか」
 「なーんにも、ないです。せいぜい『サンキュー』だけです。あっ、そうだ。タイ航空はネクタイをくれたかなあ。まあ、そんなもんですよ」
 大冒険とは関係のない、こういう雑談をしている時間が、私にはたまらなく楽しい。