724話 ふたりの学者の死 その1

 台湾の旅物語を連載している間に、縁のある学者が相次いで亡くなった。すぐに何か書きたいとおもったが、台湾の話に割って入ると話の方向が変わってしまうので、連載が終了するまで待って今、やっとその機会が来た。
 考古学者の松井章さんとは、共にある食文化のフォーラムのメンバーということで、年に3回会っていた。もう十数年前からなので、おそらく今まで数十回は顔を合わせていただろうが、ふたりで話した時間はのべにしても1時間もないかもしれない。私は考古学に対する強い関心がなく、話しかける糸口がなく、松井さんも私がどういうことに関心のある人間なのか知らなかっただろうし興味もなかったと思うので、松井さんから話しかけてくることもなかった。
 そういう希薄な関係でありながら、書いておきたい事柄がいくつか浮かんだ。松井さんと初めて話らしい話をしたのは、1998年だ。たまたま書店で『トイレの考古学』(大田区郷土博物館編、東京美術、1997)の2刷(1998年)を見つけて買ったばかりだった。この報告書に松井さんが登場していた。当時の肩書は、奈良国立文化財研究所主任研究官であり、京都大学大学院客員教授だった。そのころから松井さんは、トイレを考古学研究の一環として研究していたので、東京・大田区に依頼されて「トイレ考古学の世界」と題する講演をしている。その講演が、この報告書に収められている。いにしえのトイレ跡を調べることで、その地に住んでいた人間の食料や病気などを探ろうという試みで、考古学そのものには興味はないが、「食べる話と出す話」には興味がある私の関心領域と重なり、「あの報告書はおもしろかったですよ」と、松井さんに話かけたことを思い出す。この報告書そのものの紹介は長くなるので省略する。定価3600円の本だが、今ならアマゾンで安く買える。松井さんの講演内容も省略するが、「講師近況」の部分だけ引用しておこう。松井章という研究者がどういうことをやってきたのか、少しはわかるだろう。
 元来、縄文時代から中近世までの遺構から出土する動物の骨を調べて、人々の食料の変遷を明らかにすることを目標としてきたのですが、トイレの土坑にはまって5年間、本業がおろそかになってしまいました。また、本業に戻って人間の口にはいる前までのプロセスを、今後はコメ、ムギ、雑穀を含めて、動物食、植物食の両面から明らかにしたいと思います。
 その次に松井さんと話をしたのは、やはり本が関わっているので、時期がわかる。『環境考古学への招待 ―発掘からわかるトイレ、食、戦争』(松井章、岩波新書、2005)が出てすぐに感想をしゃべった。刺激的で、おもしろい本だった。武家屋敷跡の発掘をすると、庭から馬などの動物の骨が出てくる。骨の状態から、明らかに食べた後だとわかる。武士たちは、世間には内緒で肉を食べていたことがわかるという個所は、今も覚えている。
 2014年9月には、馬の蹄鉄の話をした。蹄鉄と日本の馬の歴史や、馬の野生化などに関して、立ち話ではあるがかいつまんで教えていただいた。日本では蹄鉄の代わりにワラジを履かせていたといった話をうかがった。2015年3月に会ったときは、まったく別人になっていた。見たことがない人がファーラム会場にいて、「あれは誰だ?」といぶかしげに見ていて、やっとわかった。体重が30キロほども減らした元偉丈夫の松井さんだった。ただならぬ病状だということは明らかで、言葉をかける勇気はなかった。それから3か月後の6月9日、新聞で松井さんがガンで亡くなったと知った。
 「歴史学は文献が頼りですが、考古学はモノが頼りです。証拠品が出ないと信用できません」。フォーラムでそう語っていたのを思い出す。理屈や想像で語るのではなく、証拠を示して語る考古学者だからか、松井さんの話も文章もじつにわかりやすく、おもしろかった。部外者にもわかる本を書いてくれる研究者には敬意を払って接する(もちろん、その文章や話の内容にもよるが)。
 私のそんなは話を黙って聞いていた原田信男(国士舘大学教授、歴史学)さんが、「でもなあ、それがちょっと問題があって、だから弔辞で言ったんだけど・・・・」と、話し出した。松井さんとは非常に親しい仲だった人だ。「著作が少ないんだよ。特に論文が少ない。調べたこと、研究したことを形で残してくれたらと思うと、残念なんだよ」。
 松井さんとて、勤めを終えたら研究の途中報告をして、いずれ集大成をしようと思っていたのかもしれない。しかし、その時間がなかった、1952年生まれ。私と同い年だから、「残された時間がなかった人生」が、よけいに、そして我がことのように悔やまれるのである。