762話 インドシナ・思いつき散歩  第11回


 モン族の女

 サパには、ギリシャなどにある野外円形劇場のようなものがある。もちろん古代遺跡ではなく近年に作ったものだが、そのあたりが街の中心部と言える。郵便局探しを終えたあと、私はその劇場の舞台を背にして縁の石に腰かけて、街を行き交う人を眺めていた。モン族の服装をした人が多い。タイでも見ているから珍しくはない。通りで観光客に出会うと、伝統的な刺繍をほどこした袋などを示して、「どうです?」というしぐさをする。観光客が「いらない」というジェスチャーで返したら、それ以上のセールスはない。サイゴンと違って、しつこくつきまとうことはない。
 私のすぐそばに来て、同じように石段に腰かけたのは、20代なかばのモン族のふたりの女と5歳くらいの男の子だった。ひとりは男の子を連れてどこかに歩いて行った。残った女は振り向いて、刺繍をした袋を手にして、私に「Do you want?」と言った。
 「No」
 「これはどうですか?」と言って、バッグから筆くらいの細い竹筒を取り出した。ふたを開けて竹筒を傾けると、薄い金属の板が出てきた。口琴だとすぐにわかった。彼女は口琴を唇にあてて、ちょっと音を出し、この楽器の解説をした。竹筒につけた飾りが実に美しいが、買う気はない。だが、この機会を利用して、ちょっと話をしてみたくなった。
 「英語がしゃべれるんだね」
 「ええ、ちょっとだけ」
 「どこで英語の勉強をしたの?」
 「勉強なんてしたことないですよ。うちの村はここから歩いて4時間ほどのところにあって、トレッキングをする人たちがよく泊まっていくんですよ。そんなわけで、子供のころからなんとなく英語をしゃべるようになっただけです。そうそう、うちの村にトレッキングしませんか。棚田があって、きれいですよ」
「街なら4時間歩いても平気なんだけど、田舎道を歩くのは好きじゃないんだ」
 セールストークはここまでで、あとは雑談だった。
 「きょうも歩いて村から来たの?」
 「まさか、オートバイですよ。荷物もあるし」
 「ここには、何しに?」
 「刺繍を売って、そのお金で買い物です」
 「買い物って、例えば?」
 生活必需品を買うことはわかっているが、ほかにどういう物を買うのかちょっと知りたくなった。
 「きょう最大の買い物は、これ。綿生地です。高いんですよ。1メートル・・・」と反物と言っていいくらいの長い布を示し、総額いくらになったかを説明したが、ベトナムの数字は額が大きすぎて、初めから「聞く耳を持たない」。1万8300ドンは約100円。100万ドンは約5460円だ。こういう高額の数字がすぐに換算できる能力は、私にはない。換算どころか、数字が聞こえてきた時点で、脳は聴力を遮断する。私は、単位が何であれ、「数字を聞く耳を持たない」のだ。
 「村では麻は作っていて、ほら、これ」と自分が着ている民族服を指さした。「麻布は村で作って染めることもできるけど、綿は作ってないから買うしかないの」
 Hemp(麻)なんて単語がすぐ出てくる。外国人に村の生活紹介もやっているのだろう。彼女のような人に解説者になってもらい、村で衣食住講座をやってくれたら、さぞかし楽しいだろうとふと思った。何日か村に住んで、建築や農業や食生活などの話をしてもらいたい。教えてほしいことはいくらでもあるが、山道を歩く気はしない。
 「綿生地はどうするの」
 「家族の、正月用の服を作るんです」
 「正月って、いつ?」
 「1月です」
 手縫いで、刺繍をするのだろうから、10月から準備を始めても、決して早すぎない。
 彼女は話をしながら、手にした布に刺繍をしていく。毎日やっていることだとはいえ、見事な腕前だ。
 先ほどいっしょにいた女性と子供が戻ってきて、彼女は立ち上がった。
 「じゃあ、さよなら」
 「楽しい話をありがとう」
 そろそろ村に帰る時間なのだろう。
 ハノイでのことを思い出した。ホアンキエム湖畔で、やはり通り過ぎる人々を眺めていたら、「英語の勉強をしている大学生です。ちょっとお話させていただいてもいいですか?」といって話しかけてきたふたりの女子大生がいた。たぶん授業の一環なのだろう。ひとりがメモを見ながら話し始め、もうひとりがその様子をスマホで動画撮影する。「どちらのご出身ですか?」、「ベトナムには何日滞在していますか?」、「ハノイの印象はどうですか?」といった質問が続く。だから、会話ではなく、一問一答のインタビューだ。私の答えに対する質問などなく、次の質問項目に移っていく。彼女たちには、私に聞きたい事などそもそもないのだ。
 会話は、話す意志と話したい事柄がないと成立しない。サパで会ったモン族の女には、私と話してもいいという気持ちと、話す内容があった。私には聞きたい事柄があり、彼女にはなんとか買ってもらいたいという意思とひまつぶしの気まぐれもあって、会話が成り立った。教室で学んだ英語では、あらかじめ作文した質問を読み上げることはできても、会話は簡単にはできないのだ。