1193話 プラハ 風がハープを奏でるように 第2回

誰も気候の話を信じてはならぬ

 

 「わたしの一家がプラハに移り住んだのは、一九五九年の十一月で、すでに気温は氷点下一〇度を下回る日々が続いていた」(『旅行者の朝食米原万理、文春文庫、2004)

 「チェコに行こう」と決めて、ずっと前に買ったチェコ関連の本を本棚から集めて、段ボール箱に入れた。チェコ棚を作るスペースはないから、箱に集めたのだ。前回紹介した『タビト プラハ』も、この文春文庫も、ずっと前に買っていた資料だ。

 プラハの寒さを知って、寒いのが大嫌いな私は、旅行先を熱帯にしようかと考えたが、熱帯にプラハほど魅力的な街は見つからず、それならできるだけ早く日本を出るしかない。大学講師としての仕事は9月中旬まで拘束されているから、そのあとすぐに日本を出ることに決めた。サンタモニカに住む友人から「久しぶりに日本に行くことに決めた。航空券の手配も済んだ。10月の東京で会いましょう」というメールが届いたが、10月上旬まで日本にいたら、氷点下のプラハを旅することになる。「ごめん。そのころは日本にいないから」とメールを送った。「逃げたな」と返信が来たが、寒いのが嫌なだけだ。

 安いことと、怖いもの見たさで、アエロフロート・ロシア航空を利用した。1975年以来の大英断だ。モスクワ経由プラハ行き。乗り換え時間がちょうどいいのも利点だ。

 飛行機がモスクワ・シェレメチェボ空港に着いた。前回は1975年の8月だったが、飛行機の丸窓から見えたのは、夏だというのに綿入りのコートを着た作業員の姿だった。あの格好は東京の冬では暑すぎる、真冬の札幌の作業風景だなと思った。8月のモスクワではそういう服装なのだ。私は夏の服装でタラップを降り、バスに乗った。

 その時の記憶が鮮烈だったので、今回は機内に持ち込んだショルダーバッグにはユニクロの羽毛服、ウルトラライト・ジャケットを入れていたというのに、2018 年9月のモスクワの空港風景は、ギラギラと太陽が輝いていた。タラップを降りてバスに向かうのだが、成田を出た時のシャツで寒くない。モスクワが、成田と変わらない気温だ。

 2018年9月。深夜、プラハに着き、翌日。朝はちょっと涼しいという程度だったが、昼前にすでに暑くなった。宿で会ったドイツ人大学生に、「秋のプラハがこんなに暑いとは思わなかったよ」と言うと、彼はスマホを取り出し、「きのうの気温は32度、きょうは31度らしいよ」と、こともなげにいう。寒さ恐怖症の私は、日本を出る朝、着ていた半そでシャツを脱ぎ、ユニクロヒートテック極暖に着替えたのだ。それなのに、気温31度かよ!

 プラハは北緯50度にある。ロンドンやアムステルダムよりは南だが、カラフトの位置だ。プラハは盆地なので、気候の変動が激しい。

 ドイツ人大学生はスマホからノートパソコンに変えて、「ボクが住んでるベルリンだって、暑いんだよ、ほら」と気温の資料を見せてくれた。1950年代に1度だけ30度を越えた日があったが、それから長らく30度の壁は越えなかった。2010年以降、30度越えは珍しくなくなった。

 「今年の夏は38度が最高だったし、ほら、いまでも30度を越えているでしょ」。パソコンのモニターに今週のベルリンの天気が出ている。ベルリンも、30度を越えている。地球は、確実に暑くなっている。

 暑くてたまらないのに夏服を持っていないので、C&Aに行ってTシャツを買った。C&Aというのは、アジアではなじみがないが、1841創業のベルギーの衣料品店チェーン。日本でいえば、「しまむら」の感じか。安いのがありがたい。そのせいだろうが、おそらく近隣諸国から来たと思われる家族がひとかかえの服を買っている光景を何度か見ている。チェコではスーパーでもこういう店でも、商品を袋に入れないから、袋に入れたければ持参するか、袋を買うことになる。まとめ買いの家族は、ふとん袋のように大きな袋を持参していた。

 「暑いプラハ」は10月に入っても続き、昼間なら半そでシャツで過ごすことができた。旅行者たちは、「いつもなら・・・」とか、「ガイドブックでは・・・」と言いながら、この高温をいぶかしげにしているが、「例年」というのがないのが、昨今の気候だ。

 おかげで、ユニクロのウルトラライトダウンのジャケットとベストは両方とも一度も袋から出すことはなかった。寒さが苦手な私の過剰防衛だったかもしれない。結果的には、ウインドブレーカーがあればいいという程度の気温だった。

 今年2月にはマドリッドで雪に会うし、モロッコのラバトでは、夜あまりにも寒くて、羽毛服を着たまま重いふとんに潜り込んで寝たほどだ。水シャワーなど冗談ではなかった。

 気候のことは、誰にもわからん。

 *新しくされてしまったこのブログでは、本文文字の書体や太さ大きさは決められ、改行1行アキに規定されてしまっていて、どうにもならない。不本意ですが、私の力の及ばない場所での暴挙なので、泣き寝入りしかないのか?

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