1156話 桜3月大阪散歩2018 第10回


 ある1日、大正区の散歩から その7


 今回の大阪散歩では、トンカツやピザやラーメンのように、東京でも食べられるものは避けようと思った。あるいは、東京でも食べられるかもしれないが、まだ食べたことがないものを優先しようと思った。これは鉄則ではなく、ゆるやかな心積もりといった程度のことだ。

 空腹に耐えて、小一時間ほど地下街を物色した。飲み屋の食べ物にも魅力を感じたが、こちらはひとりで、しかも酒を飲まないから入りにくい。「トンテキ」という文字が目に入った。豚肉のステーキだ。大阪の番組で見たことがある料理だが、まだ食べたことがない。最近流行りらしい。物は試しと行列に並び、10分ほど待って店に入り、トンテキの定食を注文した。食べてみれば想像していた通りの味で、うまいことはうまいから怒りはもちろんないが、逆に驚きとか感動といったものもなかった。豚と牛を、同じ量・同じ値段で選べるなら、客の多くは牛肉を選ぶだろう。

 箸を手にして、さあ食べようかとしたときに、「ああ、写真、写真」と気が付いて箸を置いたので、こういう写真になった。プロなら、こんなみっともない写真は撮らない。これは、撮影者の心情と胃袋をよく表現したリアリズム映像である。意図したことじゃないけれどね・・・。

 この店の料理よりも、カウンターで食べている私の背後で聞こえる会話が印象に残っている。一度も背後を振り返っていないが、声と会話の内容で、20代なかばのOLふたりだと想像していた。
 「もう、東京はいい。行く必要はないね」と、ひとりが言った。実際は関西弁なのだが、私の文章力ではその感じを正確に文字化することができないので、無粋ながら共通語で表記する。
 「東京はもういい」というのは、遠距離恋愛が終わったということか? それは幸せな結末なのか、それとも不幸な結末だったのか。分かれたとしても、それが必ずしも不幸な結末ではないしなあなどと考えた。
 「そんなに良かった?」と、もうひとり。
 「とっても。ディズニーって・・・」
 騒音で、あとの会話が聞き取れない。
この会話から、私の妄想エンジンが急速に回転して、分析を始めた。
 「うん、おもしろかった。とっても」
USJがとてもおもしろかったから、東京ディズニーリゾートにはもう行くことはないという意味か。
 「上海ってさあ、料金はほとんど変わらないけど、街はおもしろいし、食べ物は安いし・・・」
 上海か。なるほど。ひとりが上海のディズニーランドに行ってきたという報告会が、今夜ここでの食事だったのか。
 関西から上海へのツアーなら、料金的には東京ツアーと変わらない。もう東京には何度も行ったから、これからは上海にしよう。上海で遊んだほうがおもしろいし安い。だから、「もう東京に行く必要がない」ということか。
 聞く気がなくても聞こえてくるこういう会話を、このように正確に理解できる場所は日本しかない。路地でも車内でも喫茶店でも、私は盗み聞きをしていた。昨年のことだが、電話で生活保護の受給相談をしながら路地を歩いている人がいた。男がしゃべっている内容は、すべて理解できた。大阪では、私の耳はダンボになっている。外国では耳をダンボにしても会話の内容はほとんどか、まったく理解できない。