1505話 あれから8か月 その7

 

 きょうの神保町散歩は買い出しではなく、事情調査という色合いが強く、いつも行く店以外は、店頭のワゴンセールを見るだけで、店内に入らない。人通りは、広い靖国通りは例年の2割減というくらいだが、1本脇に入ると日曜日であるかのように閑散としている。出版社などもリモートワークしているのだろうか。

 ガラス越しに見える飲食店の店内は、どこも開店休業のようだ。キッチン南海と餃子のスヰートポーヅの閉店は、テレビのニュースで知っていた。どちらの店も初めて行ったのは高校生のころだ。カツカレーのように、カレーに何かを乗せるのは好みに合わないので、キッチン南海には2回くらいしか行かなかった。スヰートポーヅの餃子は、皮を半分に折って中央だけ張り合わせただけで、両端は閉じていなかった。これと同じ餃子に、意外な場所で出会った。台北の、今は亡き中華商場の餃子だった。大陸から渡ってきた人たちが始めた商業施設だが、そこでお好み焼きのように鉄板で焼いていたのが、やはり両端を閉じていない餃子だった。神保町の餃子といえば、スヰートポーヅに初めて行った頃、飯田橋に移転する前の「おけ以」にも行ったのを思い出した。30年ほど前の話だ。

 神保町をざっと散歩して、閉店・廃業したと気がついた店は10軒以上あり、そのうちシャッターやドアを閉じたままなのが半分、別の店になっていたのが半分くらいか。今回は水道橋方面を歩いていないので、これは限られた地域の感想だ。

 こんな事情なら、いつも行列ができている焼きそば専門店に行ってみればよかったと気がついたのは、帰宅してからだ。

 そういえば、今年3月、お茶の水駅に一番近い古本屋、丸善向かいの三進堂の前を通りかかったら、「店主急死につき、閉店します」という張り紙があるのに気がついた。この古本屋は海外旅行、山登り、言語学などの本が多く、駅を出たらまず立ち寄る古本屋だった。10代のころから知っている店だ。20年くらい前からか、レジ脇にどっしりと座りこんだおやじが、貧乏ゆすりをしながら神経質に机をカチカチとたたき続けているのが気になっていた。禁煙パイプで机をたたいていたから、あれは禁煙のストレスだったのだろうか。よく古本屋歩きをしている人なら、店名を出さなくてもこの話で「ああ、あそこの店ね」とわかる。張り紙には、3月末まで半額セールをやると書いてあったが、もう上京するような環境になく、出かけなかった。神保町の古本屋も、店を閉めているところがあった。ここ数年、古本屋は後継者がいないことから廃業し、カレー屋やラーメン屋の大家になることが多くなった。本を売るより、家賃収入のほうが魅力的なのだろう。

 神保町の古本屋は、権威主義的な偉そうな本が多く、「高くて当たり前」という値付けだった。だから、10代のころは、店頭ワゴンセールの格安本しか買えなかった。店内に足を踏み入れるのにためらいがあった。貧乏な若者は、「棚の本に触れるのは10年早い!」と言われているような気がした。

 サブカルチャーや雑学やエッセイや岩波以外の新書や文庫は、早稲田や中央線沿線の古本屋のほうが欲しいものが容易に、しかも安く手に入った。それが、20年以上前あたりからか、雑誌やポスターなどを売る店がボツボツと姿を見せ、「神保町の古書店でございます、エヘン」というだけでは商売がうまくいかない時代になり、地価の値上がりと後継者不足と本離れなどが重なり、古本屋が閉店すると、その後にインド料理屋やラーメン屋が店を開くという時代になり、今のコロナ禍だ。紀伊国屋ジュンク堂が進出することもなく、水道橋駅前の旭屋や三省堂隣の書泉ブックマートはすでに閉店している。神保町とその周辺の書店事情もだいぶ変わった。