1698話 日々雑話 その3

 

ライター武田砂鉄は、「読書の敵はパソコンだ」と言った。まったく同感。本を読んでいると知りたいことが出てきて、パソコンで調べ始める。参考資料は出版されているかどうか調べたり、著者の略歴を調べたり、その本が扱っているテーマの歴史的背景を知りたくなり、そのうちに疲労回復のために、ユーチューブで音楽を聴き・・・という具合にモニターに向かったままで、本にはなかなか戻れない。調べるのが好きだと、パソコンの電源を切って本に向かうということができない。

 この文章を書いている今現在は、中国の食べ物の本を読んでいるから、見たことのない料理はパソコンで画像検索をする。料理名が日本式の漢字表記だから検索しやすい。これがカタカナ表記の外国語か、それにハングルだのクメール語などの表記がついていても、検索のしようがない。中国語は検索しやすいのをいいことに、次々と検索遊びをしてしまう。

ケニアの港町モンバサの安宿は、ひと部屋にベッドが5台ほどあり、天井の中央から裸電球がひとつぶら下がっていた。夕飯を食べたらすることもなく、初老の男と世間話をして長い夜のヒマつぶしをした。彼は長年首都ナイロビで働いてきたが、思うところがあって故郷のモンバサに戻ってきたところだと言った。

 「ナイロビは、政治と経済だけの街だ。モンバサは、ただのセンチメンタルな街さ。だから、このモンバサが大好きなんだよ」

 この、”Mombasa is just a sentimental city.”というセリフが、40年以上たった今でもはっきり覚えている。旅に酔う人は、体にセンチメンタリズムやエキゾチシズムやロマンチシズムと表現されるような何かが宿ったときだろう。それが旅行者の特権である。他人にどう思われようが、旅情に浸れればそれでいい。

テレビで台湾の街や村の風景を見ていると、なぜか心が熱くなって涙が出そうになると書くとちょっと大げさだが、ほかの国とは明らかに違う感情が沸き上がってくるのは確かだ。台湾の夕暮れは、哀しい。理由は知らない。台湾は、センチメンタルな国だ。

台湾産マンゴー・パインを買う。風味が違う。「芯まで甘い」ということを知らず、捨ててしまった。また買うか。

学者のタマゴが書いた本を、アマゾンの「ほしい物リスト」に入れていた。高い本だから、安くなったら購入を検討しようと考えて数か月たった。その本はいっこうに安くならず、しかも「よくかんがえれば たぶん、つまらない内容だろう」と想像するようになり、地元の図書館の蔵書リストをチェックすると入庫済みで、すぐさまネット予約した。借りて来た。5分で読み終えた。私の勘は正しかった。

 久しぶりに行った図書館はデジタル化がいっそう進み、予約図書は「予約図書」の棚から自分で取り出し、機械で貸し出し手続きを行なう。今の自分だとなんとかできるが、5年後の私だと貸し出し機械とうまく対処できるかどうかわからない。老人がよく使う図書館が、老人が使いにくくなる。

忘れないためのメモ。映画「ファンシィダンス」(1989)のなかで、禅寺のトイレをテレビで紹介するというシーンがある。桶に水を汲んで、用を足したらその水で尻を洗うのだと、修行僧の元木雅弘が説明する。それで思い出したのは、道元の『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)75巻本のなかの54巻が「洗浄」で、そのあたりのことを説明している。1980年代に読んだその本は自宅で散逸しているが、今はネットで確認できる。インドから伝わったのは仏教の教義だけではないという話。こういうメモを残しておくと、あとで「ブログ内検索」をすると発見できる。このアジア雑語林は、私の備忘録でもある。