1735話 尿意を催す その5

 

 そういえば、アニメ「魔女の宅急便」にトイレがでてきた。魔女キキが大きな街に住み始めて2日目の朝、ハートの切り抜きがある木の壁がある部屋に出入りするシーンがある。そこはトイレだろうという想像はつくが、ハートの切り抜き窓の意味がわかった日本人は何人いただろうか。私はこういう調べ事をしたので、すぐにわかっていた。1308話参照。

 そういえば、ラオス川下り1泊2日の旅をしたことがある。1日目は午前出発夕方途中の村到着。2日目は朝出発、午後到着という行程だったが、考えてみれ、船中で一度もトイレに行かなかった。船の最後部にトイレはあるらしく、おそらく水中落下型なのだろうと思うが、確認をおこたった。

 そういえば、ケニアラム島からタンザニアのダルエスサラムに小さな帆船で密航したときのこと、寄港などしないから、船上で用を足さないといけない。小用は船のヘリの両ひざをついて放水するが、大用は生命の保証はない。船のヘリに輪になったロープがある。そのロープを両脇に挟み、船外に身を置く。足先を置くわずかなでっぱりはあるが、船の横腹にのびたカエルのようにしがみつき、用を足すのだ。船員たちは腰布を巻いているから、すそをちょっとたくし上げ、用を足し、波を見て、左手で海水を手に受け、尻を洗う。もし滑り落ちたら、インド洋で魚の餌になる。命がけの脱糞はいやだと思ったから、自分の意思で便秘にした。

 船上での脱糞作法に詳しいのは、船員たちの行動を目視していたからではない。船の外のことは見えないのだ。それなのに、見たように描写できるのは、見たからだ。我が小舟がダルエスサラームについて、船溜まりで入国審査を待った。私は堂々たる密入国だから、係官が手間取っている。その間、港の船上で待った。少々離れたところに木造帆船ダウが何艘も停泊している。その1艘の船腹に男が下りてきた。輪にしたロープを両脇にはさみ、海上1メートル近くまで下りていく。「ミッション・インポッシブル」のようだ。男は腰布をちょっとたくし上げ、体から太く長いものをひり出した。大飯を食い大グソをする健康的な光景だ。人間は一本の管だということがよくわかる。

 そういえば、やはりアフリカで川下りをした日本人夫婦の話。その船は私のナイル下りと違い、渡し舟のような小さなものだ。早朝船着き場を出て、夕刻には目的地に着くというスケジュールだ。舟にはバケツがひとつあり、それは旅行者用の便器だ。夫婦のほかには4人の西洋人女性旅行者がいて、雑談をしながらバケツにまたがり用を足す。話はそのまま続いている。川の水でバケツを洗い、戻す。しばらくすると別の旅行者も同じようにバケツにまたがる。

 夫婦の妻が言う。「わたし、日本人にしては相当図太いと言われ、裸で泳ぐのなんか平気なんだけど、さすがに、みんなが見ている前でオシッコするのは無理だった。じっと我慢して、暗くなる夕方まで待った」

 その話を聞いて思い出したのが、金子光晴の詩「洗面器」。金子のファンで、東南アジアが好きな人の間では有名な詩で、開高健も愛した詩だ。

 

 

  洗面器   金子光晴(『女たちのエレジー』(1949年)より)

 

(僕は長いあひだ、洗面器といふうつはは、僕たちが顔や手を洗ふのに湯、水を入れるものとばかり思つてゐた。ところが爪硅(ジャワ)人たちはそれに羊(カンピン) や魚(イカン)や、鶏や果実などを煮込んだカレー汁をなみなみとたたえて、花咲く合歓木の木陰でお客を待ってゐるし、その同じ洗面器にまたがって広東の女たちは、嫖客の目の前で不浄をきよめ しゃぼりしゃぼりとさびしい音をたてて尿をする。)

 

洗面器のなかの

さびしい音よ。

 

くれてゆく岬(タンジョン)の

雨の碇泊(とまり)。

 

ゆれて、

傾いて、

疲れたこころに

いつまでもはなれぬひびきよ。

 

人の生のつづくかぎり

耳よ。おぬしは聴くべし。

 

洗面器のなかの

音のさびしさを。