1408話 食文化の壁 第6回

 外国料理の壁 甘さは障壁か

 

 タイ料理や韓国料理で「嫌だな」という味は辛さではなく、甘さだ。西洋人から「日本の料理は甘い」と指摘されることがあるが、日本も古くから料理が甘かったわけではない。サトウキビから砂糖を取り出すのは、西洋の植民地になってからだ。それ以前からヤシから砂糖を作る技術は存在していたが、手間がかるので、祭りなど特別なときの甘味料だった。テンザイから砂糖を取り出す技術の確立もかなり遅く、テンサイが原料の砂糖が量産されるようになるのは19世紀に入ってからだ。

 世界のほとんどの地域で、甘味の元はハチミツや果物だった。地域によっては、麦芽を利用した水あめも加わる。「うまい」は「あまい」と起源が同じ言葉だ。ヒトという動物は、甘ければ、うまいと感じるのだ。だから、砂糖が自由に手に入るようになると、東アジアや東南アジアでは料理が甘くなり、西洋や西アジア、南アジアでは菓子がより甘くなった。

 さて、日本ではどうだったかという話だ。

 「佃煮って、いつから甘くなったんでしょうかね」

 江原絢子(東京家政学院大学名誉教授)さんにそういう質問をしたことがある。

 「佃煮が生まれた幕末では、甘くないでしょうね。甘くなるのは、明治になって、だいぶたってからだと思います」

 ということだった。つまり、魚の煮つけのように、醤油、酒、みりん、たっぷりの砂糖で甘露煮のようにするというのは、かなり後の時代になってからだとわかる。それが、いつか考えてみる。

 江戸時代、日本には2種類の砂糖があった。四国や奄美諸島琉球などで生産された砂糖とオランダが長崎に持ち込んだ砂糖だ。したがって、日本には砂糖はあったが、特別な人だけが口にできる甘味料だった。ただし、長崎出島関連の資料を読んでいたら、砂糖の裏の歴史がちょっとわかった。オランダ人は輸出品としてインドネシアの砂糖を持ち込んだが、それは表の商売で、個人的にこっそり砂糖を持ち込んで、長崎で売ったらしい。使い道は、遊女の揚代や身請け代金だったという資料もある(例えば、『「株式会社」長崎出島』など)。金本位制ならぬ、砂糖本位制というか、モノとヒトの物々交換だったわけで、こうした「裏の砂糖」が長崎など九州に出回ったので、九州の砂糖事情は日本のほかの地域とはちょっと違うようだ。「江戸後期の料理は甘くなった」という説を唱えている人は少なくないが、それは江戸や大坂などの比較的富裕層の話で(職人は貧乏人じゃない)、「江戸時代の食」という場合、江戸の事情しか書かないという態度に大きな問題があると思っている。江戸時代にも当然、農山村島々もあるのだ。

 日本の料理が甘くなっていくのは20世紀に入ってからだ。19世紀末、日本は植民地台湾で本格的に製糖事業を始める。1900年の台湾製糖(台糖)創立以降、次々に製糖会社が参入し、大量の砂糖が日本に運ばれた。砂糖が安くなるのはそれ以後だ。ただし、明治に入ってからでも、砂糖を日常的に使っていたのは都市住民だけで、農山村離島や貧民層では、砂糖はあいかわらず貴重品だったと思う。時代はやがて戦時体制下に入り、戦中戦後の食糧難時代を経て、砂糖は誰でも自由に買うことができる甘味料となった。1950年代後半あたりからだろうか。

 日本各地に残る「昔ながらの料理」に砂糖を大量に使うのは、砂糖が貴重品だった時代の名残りだ。東日本に多いのだが、茶碗蒸しや納豆に砂糖を入れる地方はいくつもある。北海道の赤飯は、甘納豆を入れるので甘い。料理に砂糖を大量に入れれば「上等!」という認識が今も根強い。

 私自身の体験では、高校生だった1960年代末、父の故郷である岩手にひとり旅をした。叔父の家にやっかいになった日の夕食、小皿の塩辛に小さじ1杯の砂糖がかかっていた。大歓迎を意味する厚意だろうとは理解できたから、無理して胃袋に流し込んだ。すると、「好きなんだね、よかった。はい、おかわり」ともうひと皿出てきた。ああ。

 日本料理の甘さは、私にとっては障壁だが、外国人にとってはちょっとした段差程度かもしれない。アメリカのケチャップやテリヤキソースなど、外国にも甘い調味料はいくらでもある。タイ人は麺類に砂糖をぶち込む。カナダではステーキなどにメープルシロップをかける人がいる。インド料理にも砂糖を入れることがあるという話はすでに書いた。

 タイには甘いマヨネーズと、「日本風」と表示された日本で売っているのと同じマヨネーズがある。ネット情報を探ると、台湾や中国や東南アジアのマヨネーズも甘いらしい。オーストラリアで売っているキューピーマヨネーズも甘いという情報を書いているのが、次のブログ。

https://www.muffintop-days.com/archives/9510

 なるほど、だから甘いのか。

 

1407話 食文化の壁 第5回

 外国料理の壁 アヒルとシリアル

 

 羊肉のように、日本でなかなか定着しない食材や製品を考えてみる。

 外国の市場やフードコートなどを見物していて、「日本人は好まないなあ」としばしば思うのはアヒルだ。中国はもちろん韓国でも食べる。東南アジアでも食べる。でも、日本人は好まない。なぜかという疑問を投げかけにくいのは、私もあまり好きではないからだ。タイにもアヒルの汁そばなどがあるが、それ以外食べるものがないという状況にならないと、まず食べない。北京ダックだって、けっしてうまいとは思わない。多くの日本人も、私と同じだろうか。

 白く甘く(食パンにも砂糖が入っている)ふかふかに柔らかいパンは、多くの日本人の好みだが、私は皮がパリパリのフランスのパンや、ライ麦とか全粒粉などを使った色がついたパンが好きだ。このように、多数の日本人の好みと私の好みがずれる例はあるが、私の食の好みが平均的日本人と同じらしいと思うことの方が多い。日本であまり広まらない食べ物で、私も好きではない例は羊肉やアヒル肉以外にも多い。

 日本に来た西洋人が嘆いているのは、シリアルの種類が少ないことだ。子供用の甘いシリアルしかないという不満だ。その昔、1960年代だと思うが日本でも、「ケッロッグのコーンフレイク」がしばしばテレビコマーシャルで流れていたが、子供のおやつという位置で、それは今もほとんど変わらない。トウモロコシや麦類の加工食品シリアルは、嫌いだ。ある食品メーカーで、シリアルの販売担当だった人に会ったことがあるのだが、「どうやっても売れなくて、苦労しました」と言っていた。

 西洋人の朝飯ということでは、オートミールも嫌いだ。オート麦の加工品で、粥のようにして食べることが多い。ポリッジも嫌だ。まずい。というわけで、私が嫌いな西洋の朝食が、やはり日本で受け入れられない。

 外国のものではないのに、日本人はなかなか口にしたがらないものもある。

 ここで今書き出したようなことをテーマに、江原絢子(東京家政学院大学名誉教授)さんに教授してもらったことがある。羊肉だアヒルだと私が食材をあげていくと、江原さんが「豆乳もそうですね」とおっしゃった。

 そうだ。牛乳に対する拒絶感はなくなってきたが、豆乳は普及しない。

 1974年の香港。散歩をしていて喉が渇いたから、商店でビン入り牛乳を飲んだ。「なんだ、これは! まずい」と感じたのだが、豆腐臭いので、これが豆乳というものかと想像はついた。豆乳を口にしたのが、それが最初で今のところ最後だ。

 豆乳とは関係ないのに、江原さんと話していて思い出したのは、コメの麺だ。中国南部から東南アジアでコメが原料の麺をよく食べるのは、小麦があまりとれないが、コメはいくらでもあるという農業環境によるものだ。だから、日本ではソバ粉や小麦粉を利用して団子や麺を作ってきたことはよくわかる。しかし、余剰米といった言葉が話題になるコメ余りの時代になれば、コメの麺を作ればいいじゃないかと思ったが、ほとんど作らなかった。家畜のエサだ、学校給食だということになり、コメのパン作りが話題になったが、コメの麺は普及しなかった。

コメが足りない時代でも、くず米はせんべいやあられや団子になったが、主食として麺やすいとんにはならなかった。コメが余っても、麺にしなかった。考えてみれば、韓国も同じだ。

 で、私はというと、焼きビーフンを例外として、コメが原料の麺類はそれほど好まない。タイ料理でも、できるかぎり小麦粉が原料の麺を探している。

 というわけで、私があまり好きでない食材は、日本ではあまり普及していないらしいという結論となった。私の食の好みは平均的日本人と同じレベルらしい。はい、私は平均的日本人です。

 

 

1406話 食文化の壁 第4回

 

 外国料理の壁 内臓と血

 

 インド料理と油の話をここで少し触れておく。日本人が苦手なインド料理を想像すると、ひとつはスパイス、とくに許容量を超えたトウガラシだろうが、もうひとつは北インドに多い「油だらけの料理だ」。ビルマ料理を初めて食べたとき、椀に盛った料理の上1センチほどが赤い油で、「ああ、インドに近づいたな」と感じた。ヒンは、油煮込みと呼びたくなるほど、大量の油を使う。例えば、このブログ。

https://unusual-web.com/?p=17021

 トンカツやトリのから揚げが大好きな日本人でも、油だらけの料理は苦手だろう。単なる想像で言うのだが、東南アジアでも、ベトナム人やフィリピン人は、油の海を泳いでいるような料理は好きではないと思う。

 さて、内臓の話だ。日本人が動物の内臓など、肉以外の部分を好んで食べるようになったのは、第何次かの焼肉ブーム以降だろうか。焼肉屋は昔からあったが、労働者階級の男たちが煙の中で食べるような料理で、酒はビールでも日本酒でもなく、焼酎がよく似合う。もちろん、レモンサワーなどない時代の、見下されていた時代の焼酎だ。

 肉以外の部位にまずスポットライトが当たったのは、いわゆるホルモンだろう。大腸や小腸を中心に、胃や肝臓などを焼いて食べた。焼肉屋よりも、串焼きの方がポピュラーだろう。やきとりという名の、実はブタの内臓を使ったヤキトンが、日本人に広く食べられてきた内臓だろう。

 さげすまれたホルモンの時代から、「おしゃれで、高級」という存在になったのは、牛タンブームが起こってからだろう。次は、東京では短命に終わった「博多もつ鍋」だろうか。牛はどこも部位も人気がありそうで、スーパーに肉売り場では、飲食店に回されるからか、牛のバラエティーは少ない。だが、ブタは肉以外はあまり喜ばれず、供給過多になっているらしい。皮つき豚肉さえ、その辺のスーパーにはない。

 日本人は、年を追って内臓も食べるようになってきたが、相変わらず拒絶されているものもある。まず、モミジだ。ニワトリの足先部分は、ニワトリを食べる地域では食べる。欧米ではぜいたくをして捨てるかもしれないが、東アジアや東南アジアでは、煮込んでスナックとして路上で売られていたりする。日本では、わずかにラーメンのスープなどに使われるだけで、あとはペットフードか産業廃棄物になってしまっているかもしれない。

 モミジ以上に拒絶されるのは、多分、血だろう。血のソーセージはドイツにも韓国にもある。血を豆腐のように固めた食材もアジアではよく食べる。

 血に対する態度は大きくふたつに分かれる。血を無駄なく使う文化と、イスラムユダヤ教の世界のように、血を嫌い、屠殺しても、血は捨てる文化がある。日本では、沖縄を除くと、血はあまり利用しない。韓国料理にスンデという物がある。もち米の飯、春雨、香草などを豚の血で混ぜて、ソーセージにしたものだ。調査をしたことはないが、日本人で「これが大好き」という人は少数だろうと思う。血の料理は、日本人にとって高い壁である。

 私も、血の料理は好きではない。元は中国料理だろうが、タイではルアット(血)・ムー(ブタ)というものがある。ちょっと見ただけだとレバーだと勘違いしてしまうが、「血の豆腐」あるいは、甘い味はついていないが「血のプリン」といったものだ。汁に入れて食べる。食べることはできるが、「うまい」と思ったことがない。

 あっ、今、スッポンの血を思い出したが、まあ、あれは強壮剤として、アルコールで割って胃に流し込むわけで、味なんか関係ないものだ。

 

 

1405話 食文化の壁 第3回

 外国料理の壁 スパイス&ハーブ

 

 1980年代後半、日本でタイ料理が話題になり始めたころ、日本ではタイ料理はそれほど受け入れられないだろうと思った。辛くて臭いからだ。日本人が抵抗なく食べられそうな外国料理は、トウガラシをほとんど使わないフィリピンやベトナムの料理なのだが、現実はタイ料理が突出して人気を得た。臭い草(タイ語パクチーという草のほか多数ある)が日本ではタイ以上に注目され、チューブ入りパクチーペーストまで発売されるようになった。

 日本人は、パクチーコリアンダー)を拒絶するだろうと思ったが、「好きだ」とか、「まあ、食える」という人もいて、タイをよく知る友人知人たちに、「日本人の何割がパクチー嫌いだと思います?」と聞くと、「3割か4割かなあ・・・」という。「好きだ」という人が2割か3割、残りが「特に好きではないが、食える」と推察している。つまり、6割か7割ほどは、食えるらしい。

 ただし、ちょっと注釈をつけたい。タイに来た団体観光客が口にしているタイ料理は、「外国人向けのタイ料理」で、臭みも辛みも少ない「もどき」料理だ。バンコクの屋台や食堂で食べていれば、タイ人が普段食べているのと同じ料理になるのだが、それは「バンコクの中国系タイ人レベル」であって、農村の家庭料理レベルではない。とても臭く(ハーブのせいだ)、とてつもなく辛いのが農村の家庭料理だ。今の日本では、タイのカレー(これをケーンという)といえば、「レッドカレー」とか「グリーンカレー」が知られているが、赤くもなく、緑でもないケーンを食べたことがある日本人観光客がどれだけあるだろうか。南部のケーン・ルアン(黄色いケーン)やケーン・パー(森のケーン)となると、バンコクに住んでいる中国系タイ人は食べられないかもしれない。だから、「いわんや日本人観光客をや」である。

 日本人は羊肉が苦手だ。

 羊肉の人気は、北海道と一部の長野県以外に広がらない。その昔、1960~70年代だったと思うが、「ジンギスカン料理」が一部で話題になり、北海道以外のスーパーで羊肉が売られるようになったが、「まずい、臭い」ということで、日本からほとんど姿を消した。「生後1年以上のマトンは臭いが、1年未満のラムなら臭くない」と「美味しんぼ」では言っているが、「それなら、ラムをどんどん食べようか」という動きはあまりない。羊肉輸入量は2000年代で最低だった2005年ごろと比べると増加しているが、「普通に食べる肉」にはまだなっていない。臭気とは別に、ブタ肉や鶏肉が安いから、高い羊肉をわざわざ食べることはないという理由もありそうだ。

 ここ20年か30年のことだろうが、中国東北部から日本に来た人が増えるにつれて、羊肉を出す中国料理店が増えているような気がする。中国東北部や新疆ウイグル地区では羊肉をよく使うからだ。そのなかで有名なのが羊肉の串焼きで、香りづけに大量のクミンを使うから、店内の匂いは中国料理店というよりインド料理店のようだ。

 そういえば、日本人が苦手な中国スパイスは、五香粉(ウーシャンフェン)という複合スパイスで、花椒クローブ、シナモン、スターアニスフェンネルなどが入っている。これらのスパイスが入ると、日本人は「漢方薬臭い」と感じる。日本人はカレーが好きで、大抵のインド料理も辛さを別にすれば「臭い」と嫌がる人は少ないと思う。それなのに中国料理では「臭い」となるのは、インド料理の場合、スパイスが油で包まれているからかもしれないと想像している。

 油の話は次回に。

 

1404話 食文化の壁 第2回

 外国料理の壁 乳製品

 

 日本人にとって、高くそびえる外国料理の壁は何だろう。

 歴史的に見れば、明治期に始まる西洋料理の流入で、バター、チーズ、クリームなどの乳製品が壁だっただろう。そういう臭気を「バター臭い」といって嫌った。西洋料理が日本に入って来て100年以上たった今でも、この「バター臭い」嫌いは程度の差はあっても残っている。

 10年以上前の話になるが、高校時代の友人がフランスの旅行社に勤務をしているのを利用して、フランスでミニ同窓会をやろうという企画が持ち上がった。私は団体旅行が嫌いだし、その時期はスペインかポルトガルあたりをぶらぶらしているからと参加を断った。

 10人ほどが参加して、フランス旅行が実施された。パリ在住の友人が知恵を絞りコネを生かし、豪華だが安価なツアーを実現したらしい。しばらくしてイベリア半島から帰国した私に、フランス旅行の話を肴に宴会をやるという誘いがあり、カルチャーショックの話を聞きたくて出席した。

 「旅行中に食べたもので、いちばんうまいなあと思ったのは何?」

 そうたずねると、間髪を入れず、返答があった。

 「パリでラーメン食ったよなあ。あれ、けっこううまかった」

 「そうそう。ほら、バスでおせんべい食べたじゃない。あれもおいしかったわね」

 「フランス料理は?」

 「あんなもの、1回食えばいい。日本人は刺身ですよ。冷ややっこですよ、何と言っても」

 そう言った男は、日本の食べ物以外食いたがらないということはすでに知っていたから、旅行中すぐに音を上げると思っていた。私の予想は大当たりだったのだが、ほかの参加者も豪華フランス料理にやがて音を上げ、こぞってラーメンを食べに行ったという。バターやチーズやクリームにやられたのだ。それが、50代の東京近郊に住んでいる日本人だ。

 1980年代のバブル期に、おしゃれな外国料理がフランス料理からイタリア料理に移った理由の一つは、「あっさりさ」だと思う。バターや生クリームや複雑なソースを作り出すフランス料理から、オリーブオイルとニンニクとシーフードのイタリア料理に人気が移ったのだ。

 日本人は乳製品に弱いとか、食べると下痢するとよく言われた。これは故なきことではない。乳糖不耐症という体質で、日本人の75%が牛乳やチーズの乳糖を消化するラクターゼが欠如、あるいは不足しているのだ。これは日本人だけの体質ではなく、乳製品を食べ慣れていない東南アジアや東アジアの民族にも多くみられる。

 今ではだいぶ変わったかもしれないが、タイの牛乳は、注意深く探さないと甘い物を買うことになる。イチゴ味とかパイナップル味という味付けをしないと、牛乳がなかなか売れなかった。チーズは、スーパーマーケットができるまで置いている店は少なかったし、スーパーで売るようになっても、買うのは外国人だった。

 日本人もタイ人も韓国人も、チーズをよく口にするようになったのは、ピザを食べるようになってからだと思う。「米食民族はチーズが苦手」が食文化の法則だと思っていたのだが、タイでもピザはたちまち人気になった。日本では、その前段階にあるのが、プロセスチーズをソーセージ状にしたり、シート状にして「溶けるチーズ」として売り出した。そしてピザでチーズに慣れて、ブルーチーズなども口にする日本人が次第に増えていった。

 今では乳製品に慣れた日本人も多くなり、「大好き」という人も、昔と比べれば増えたと思うが、その量と頻度にはまだ慣れていない。ひと皿のフランス料理は「うまい」と感じても、フルコースディナーを食べると、「しばらくは、いいか」と感じるらしい。私にはその体験がないので「らしい」としか言えないが、バター、生クリーム、チーズを大量に使った昔ながらのフランス料理を毎日食うことになったら、私も1週間か10日か、そのくらいで、「もういいよ」となるだろう。いつも貧乏な旅行者は、「もういいよ」と言いたくなるほどの豪華料理を1度でさえ口にしたことがないので、あくまでも想像の話である。

 

1403話 食文化の壁 第1回

  日本料理の壁 

 

 かつて、日本文化特殊論というのが盛んだったことがある。日本語は世界でもっとも難しい。そういう難しい言語をあやつる日本人は優秀であるといった論理で、日本人の優秀性を賛美しようとするような主張だった。その後、こういう主張は衰えるどころか、テレビでは依然、日本賛美番組が盛んだ。「日本にこういう欠点がある」などと言おうものなら、ネトウヨあたりが「売国徒!」と叫ぶご時世だ。

 日本文化特殊論が学問的に語られたことがある。日本料理は、油をほとんど使わない。スパイスをほとんど使わない。味付けは醤油に頼りすぎている。魚を生で食べる。こういう料理はけっして国境の壁を超えないという理論だ。1970年代まで、外国に日本料理店はあまりなく、しかも客のほとんどは日本人か日系人か日本に長期滞在した経験者たちだった。

 アメリカで日本料理が注目されるのは、1977年の「マクガバン・レポート」が「アメリカの食事目標」を掲げてからだ。健康的な食生活を送るには、脂質、塩分、糖分などを減らす食事で、それは日本料理だという報告から、「日本料理は健康にいい」というイメージができあがっていった。1980年代のエスニック料理ブーム以後、日本料理が、とくにすしが広く食べられるようになり、今はラーメンもブームになっている。

 外国人にとって、高くそびえる日本料理の壁、日本の食材の壁は何だろうか。かつては、刺身、すしといった生魚だったが、そのハードルはすでにこえた。ただし、サーモンや白身魚の壁は低いが、サバ、イワシなどの青身魚の生はハードルが高い。日本人でも好き嫌いの差が大きい納豆、クサヤ、塩辛、ホヤ、トロロイモなどを別にすれば、私はざるそば、豆腐(冷ややっこ、湯豆腐)、コンニャクなどが高い壁だろうと思った。味が単調とか、食感が気持ち悪いという理由が想像できる。こうしたことを考えるとき、「外国人」をどういう人たちと想定するかのよってだいぶ違う。タコが嫌いな外国人はある程度いるが、地中海地方の人たちはタコを好んで食べる。トンカツは、イスラム教徒もユダヤ教徒も口にしない。だから、「一般的な外国人」を想定することは難しい。

 日本訪問者が増えるにつれて、外国人が口にする食べ物の幅が広がっていった。その最後の砦だと考えられているのが、生タマゴだ。生タマゴにはサルモネラ菌があるということで、アメリカのレストランでは生タマゴを出すことが禁止されている。一部の香港人を除いて、中国人はかつて生タマゴを口にしなかった。訪日中国人の食事を取り上げたテレビ番組では、すき焼きを食べるとき、中高年は生タマゴを拒絶するか、タマゴを鍋に割り入れる。若者たちは、日本人と同じように肉を生タマゴにつけて食べていた。日本料理に限らず、外国の料理をおもしろがって食べたがる好奇心いっぱいの若者たちは、生タマゴの壁を少しずつ越えつつある。

 すでに書いたことがあるこの結論で終わりだと思っていたのだが、決定的な事実を思いついた。中国、韓国、日本など東アジアの人々を除くと、日本の食文化に慣れていない外国人は、飯をそのまま口に入れるのが苦手なのだ。西洋人の旅行者が日本で豚肉のショウガ焼き定食を食べたとする。日本に慣れている人なら日本人と同じように食べるが、日本料理をあまり食べたことがない人だと、茶碗の飯に醤油をかけたがる。「だって、味のない食べ物を食べるのは嫌だ。お前だって、ゆでたジャガイモに味をつけて食べるだろ」と言われたことがある。東アジアの人間は、白飯にも味はあると認識しているのだが、それ以外の外国人は、白飯を「味のない料理。味付けしていない料理」だと認識している。

 東アジアだけでなく、東南アジアも南アジアにもアフリカにも、コメを食べている人たちがいくらでもいるじゃないかと反論したくなるだろうが、広い意味での「汁かけ飯」文化圏では、皿の飯に汁をかけて食べる。おかずに汁気がある限り、基本的に、白飯を口に入れ、おかずを口に入れて・・、という食べ方をしない。カレーのように、白飯を汁で味をつけて食べる。

 もち米が常食のタイの北部や東北部などでは、もち米を蒸した飯(おこわ)をおにぎりくらいのかたまりを左手に持ち、右手でひと口大にまるめて食べる。「汁かけ飯」文化圏ではないよなあなどと思いつつ、タイ人の食事風景を眺めていたら、汁つけ飯だとわかった。右手で飯を丸めると、煮汁に少しつけて口に入れる。焼き魚や揚げ物の場合は、おかずをちょっとちぎって、飯とともに口に入れる。ニワトリ肉のかたまりにかぶりつくことはなく、肉片をつまみ、握った飯にのせて食べることが多い。

 東アジアが飯とおかずを別々に口に入れて、口のなかで混ざり合う口中混合であるのに対して、それ以外のアジアやアフリカでは、口に入る前の飯に味をつける口前混合なのである。私はおこわが大好きだからバクバク食べるのだが、タイ人は飯に味をつけて食べている。

 だから、日本料理の最大の壁は、もしかして白飯かもしれないと思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

1402話 広島とアジア映画

 大林宣彦監督が亡くなった。病身の映像は以前から見ているから驚きはない。大林作品は10本近く見ているが、相性は良くない。芸術的映像というのが、どうも苦手なのだ。「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」の、いわゆる尾道三部作も見ていない。だから、「これはよかった」と思えるのは、芸術的映像美に走っていない「青春デンデケデケデケ」と「北京的西瓜」の2作だけかなあ・・・などと考えていたら、その昔、大林監督と会ったことを思い出した。いつのことかもうはっきりとは思い出せないのだが、1990年代半ばか。場所は広島市だ。

 広島の広告代理店から電話があり、広島市が「アジアと映画」に関するシンポジウムをやるので、参加してくれないかというようなものだったような気がする。「私はアジア映画の専門家じゃありません」と断ったのだが、「映画がメインではなく、アジアの人々と映画ということで・・・・」ということなので、ヒマでカネが欲しい私は出席を決めた。ほかの出席者は、大林監督、俳優中野良子、そして名前は忘れたが国際政治学者で、合計4人でやるという企画らしい。

 当日、広島の会場に着き、担当者から進行表をもらった。もう筋書きができていて、その筋書きが、大林&中野による中国と映画が中心テーマだとわかった。大林の「北京的西瓜」の撮影のいきさつ、つまり映画のラストのシーンが天安門事件で撮影できなかったという話だ。そして、中野良子が出演した「君よ憤怒の河を渉れ」(1979)で、中国で彼女がいかに絶大な人気を得たかという話で、客が聞きたかった話もそれだろう。その時点で、私は「君よ・・・」は見ていない(のちに見たが、さほどおもしろいとは思わなかった)。「北京的西瓜」はすでに見ていて、おもしろい作品だとは思ったが、監督を前に語ることは何もない。

 会場で、「前川さん、中国と映画の関係など、ひとこと」と振られたが、話せることはないし、話したいこともない。

 「中国映画は10本ほどしか見ていないし、中国には行ったことがないので・・・」と言って、場内の失笑をかった。中国以外のアジア映画の話をしたら、ひとり語りになってしまう。

 冷や汗モノの90分が終わり、私が何を話したか覚えていない。多分、言葉のやりとりはなかったのかもしれない。会場を出て、廊下でちょっと言葉を交わした。監督が私に「これから、東京にお帰りですか」と、声をかけた。社交辞令だ。優しい口調と優しいまなざしだった。「いえ、明日の夕方まで広島で遊んでいます」と話しながら、トイレで並んで用を足した。それだけの接触である。

 なにか、内容のあることを質問するとか論議するといった体験があればいつまでも覚えていたのだろうが、何もないので、あの日のことはすっかり忘れていた。

 あっ、だんだん思い出してきた。シンポジウムの直前、出席者や広島市長が集まって30分ほど、顔合わせと打ち合わせをやった。スター中野良子が芸能人オーラを出しながら、ひとりでしゃべり、だから私は終始無言だった。控室の白いテーブルクロスと厚めのコーヒーカップの映像が記憶にある。大林監督は別件の用件があったのか、その席にはいなかったように記憶するが、まあ、あてにはならない。私ひとりが無名の異分子だから、話すこともない。高校時代、「中野良子が大好きだ」と言っていた級友のことを思い出していた。