1479話『食べ歩くインド』読書ノート 第27回

 

 

 手かスプーンか その3

 最近のインド人は、どのようにして食べ物を口に運んでいるのかが気になって、相変わらず動画を見ている。ときどき横道にそれるのを楽しみながら、1日1回1時間ほど動画遊びを楽しんでいる。1時間分の動画観察をインド各地でやろうとすれば、どれだけの時間とカネがかかるかわからない。インターネットならインドの東西南北をたちまちのうちに旅できるのだから、動画検索を徹底的にやるのも有効な研究手段である。もちろん、ネット情報で充分というわけではないが。

 路上の食事風景はさんざん見たあと、中級以上のレストランや、ネット上の食べ歩き番組を見始めると、これがまたおもしろい。

 超高級インド料理店を覗くと、食器や盛り付けなどはフランス料理風で、ナイフとフォークとスプーンで食事するようになっている。例えば、このレストラン。料理長は、「基本的には、伝統的なインド料理を作っている」と言っている。

 食事動画を見ていくと、路上の食事ではなくても、このようにスプーンを使って食事をしているのをよく見る。これはムンバイ食べ歩き動画で、何本もあるのだが、見ていて気がつくのは、スプーンを使う食事風景だけではない。インドに関するたいていの本には、「食事中、左手を使うのはタブーだ」と書いてあるが、ナンやチャパティーをちぎるときに左手も使う事を、私はインドで見ているし、この動画シリーズでも発見できる。また、日本人が茶碗を左手に持って食べるように、器を左手に持って食べているシーンも、この動画でしばしば見受ける。これも、そうだ。左手をよく使っているのがよくわかる。

たびたび語られる「韓国人は器を手に持って食事をしない」というのが、あくまで「上品です」というマナーであって、現実の食事風景とは違うという話を、このアジア雑語林で何度も書いてきた。インド人の食事のしかたもまた、何も考えずに「理想的なマナー」を「現実の食事のしかただ」と論じてしまう危険がある。食の話を「また聞き」の「また聞き」の知ったかぶりをやめて、現実の姿を見るには、フィールドワークを重ねるのと同時に、ネット上の動画を観察するのも、なかなかに有効な研究手段だ。

 『食べ歩くインド』を読めば、巷間語られる「インド料理とは」とか、『インドの食文化は』といった話題が、いかに信ぴょう性のないものかがわかる。インドの食べ物をちょっと調べた人はいるが、この本の著者ほど広くインドを旅した人はおそらくいないだろう。辺境地に足を踏み入れたという外国人旅行者はいても、そこで食文化をテーマに考察した人は、著者の小林真樹さん以外いないだろう。そういう意味で、この本は空前絶後である。

 これで、『食べ歩くインド』の読書ノートは終わるが、関連するテーマで次回から続編を追加する。

1478話『食べ歩くインド』読書ノート 第26回

 

 

 手かスプーンか その2

 日本でスプーンが普及したのは、カレーライスが広まったからだ。時代的には、関東大震災(1923)のあと、1930年代にカレー粉が広く販売されるようになってカレーライスが家庭の料理になる中で、家庭の食具にスプーンが加わった。そんなことを思い出したのは、ビリヤニにスプーンがつくことが多いのは、インド人にとってビリヤニは、日本人にとってもカレーライスのように、「外国の食べ物」という意識があるのではないか。「ビリヤニやプラオは外国料理だから、スプーンを使うことに抵抗はあまりないのだろう」というのが、私の仮説だ。

 私は最初、スプーンでインド料理を食べるインド人は、西洋で教育を受けた上流階級の人たちや、外国にあこがれている小金を持った若者だろうと推察していた。実際、大金持ちの大結婚式の食事風景を動画で見たら、やはりスプーンが大活躍していた。しかし、それよりも、もしかすると、路上で立ち食いする労働者たちの方がスプーンの愛用者ではないかという気もする。ただし、スプーンやフォークは外食用で、自宅では手食が普通だろう。

 これまで長々と、インド食文化の話をしてきたが、重要な資料は、やはり動画だった。匿名のインタネットサイトの情報は、お話にならないものが多い。

 上の文章を書いてから、インドの食事風景の動画を見るのが日課となるほど楽しんでいると、おもしろい動画をまた見つけた。その話に入る前に手食の条件を書いておこう。

■ナイフを使わないと切れないような料理はテーブルに出てこない。これは箸の文化圏と同じだ。食材はあらかじめ小さく切ってあるか、指でほごせるように柔らかく煮込んである。

■指ではつかめないような熱い料理は、手食文化にはない。料理の温度は、人肌以下だ。だから、炊き立てのご飯は食べない。

■指では食べにくい汁物は、基本的にない。汁のある料理は飯に吸わせて食べる。だから、インド亜大陸には、東アジアやヨーロッパにあるような熱々のスープを飲む文化はない。そう思っていた。

 上記3点が、手食文化圏の原則だと思っていたが、インド人がチリレンゲでスープを飲んでいる動画を見つけた。チリレンゲの使用は、中国や台湾などよりも、マレーシアやシンガポールの影響だろうと思う。新しい食べ物が誕生すると、新しい食べ方が生まれる。

 汁物で熱いのがダメなら、日本のラーメンのような料理は受け入れられないことになる。麺と東南アジアの関係で言えば、中国から入ってきた麺は、中国人だけが食べる料理だったが、麺という都市の食文化が非中国系にも広まることで、新しい食べ方が生まれた。タイを中心にしたインドシナ半島では、都市部では箸の使用が広がった。タイでは汁麺を食べるときは箸を使うから、農村から都市に出てきたばかりの若者は、まだ箸をうまく使えない。焼きそばや和えそばのように汁がない麺料理は、スプーンとフォークで食べたり、チリレンゲで食べたりする。しかし、そういう麺料理を買ってきて自宅で食べる場合は、手食することもある。

 マレーシアでは、中国系は麺を箸で食べるが、マレー人やインド人はフォークなどを使う。インドネシアは手食する人の比率はインドシナ半島よりも多く、インドネシア式のラーメンライスというのもある。ゆでたインスタント麺をほかのおかずとともに、皿に盛った飯にのせることがある。麺の味付けはトウガラシ調味料のサンバルだ。

さて、インドではインスタントラーメンをどう食べるのか。maggi(スイスの食品会社ネスレのブランド)のインスタントラーメンを売っていることは知っているが、どうやって料理して、どうやって食べるのだろうか。食べている動画は見つからないが、作っている動画はいくらでもある。例えば、これもうひとつ

 違う店だが共通しているのは、チーズとマヨネーズと(たぶん)ケチャップを加えて煮込み、水分を麺に吸わせて、日本のスパゲティーナポリタンのようにしている。汁が多いと食べにくいのだ。そして、フォークで食べていることがわかる。インドの北部は伝統的にチーズを使う地域だが、この動画で見るようなチーズの使い方はイタリア的と言おうか、最近の韓国のようだと言えばいいのか、明らかに外国の影響だ。

 

1477話『食べ歩くインド』読書ノート 第25回

 

 

 手かスプーンか その1

 インド人は手食が当たり前ということは知っているが、スプーンを使うこともあるようだという現場を見た。

 最初は、もう5年以上前になるだろうか、テレビをつけたら「世界の車窓から」(テレビ朝日)をやっていた。インドのどこかの駅の食堂が映っている。男たちの食事風景が、ナレーションもなく流れているのだが、なんだかおかしい。これは、本当にインドだろうか。私の違和感は、客の多くがスプーンで食事をしていたからだ。番組終了直前に、石丸謙二郎のナレーションが流れた。「最近のインドでは、スマホが普及したので、指が汚れないようにスプーンで食事をする人が増えました」

 サイトを読むだけなら左手でもできるが、文字を打つなら右手が必要だ。右手の指を油とスパイスだらけにするわけにはいかないということで、スプーンの登場となったのだろう。

 2度目の発見もテレビだ。これは、つい最近のこと、北インド、ヒマチャール・ブラデーシュ州を紹介する紀行番組だった。マニカラン温泉のヒンドゥー寺院での会食シーンを見ていたら、おお、スプーンで食事している人が結構いる。カメラの角度が変わると、「かなりいる」から「ほとんど手食」に変わったりするが、スプーンで食事をしている人は確実にいる。

 そして、『食べ歩くインド』だ。この本に山ほど載っている料理写真に、スプーンが写っている例がいくらでもある。料理を取り分けるときはスプーンを使うということは、もちろん知っている。しかし、取り分け用ではなく、料理を口に運ぶためのスプーンではないかと思われる写真のページを、以下書き出してみる。インドに詳しい方は、さて、どう思います?

 『北東編』p44、56、73、105、124、137、140、156、185(上の写真)、276、281。

 『南西編』p53、168、284。

 インド人は、どうやって食べ物を口まで運んでいるのだろうかという疑問を、動画サイトで確認することにした。いくつもの検索語を使って調べていると、スプーンで食事をしているシーンがいくらでも出てきた。「おお!」と驚きと喜びの声をあげそうになったのは、すでにちょっと調べた「立ち食い」や「食器」の情報も詰まっている動画だ。以下、その動画を少し紹介する。ゆっくりと、ご覧ください。

 ハイデラバードのビリヤニの屋台。立ち食いができるカウンターがあって、客はスプーンを使って食べている。

 パキスタンのカラチのビリヤニ屋でも、スプーンがつく。

 立ち食いのビリヤニ屋とスプーンの親和性が高いのか? ビリヤニ屋以外でも、スプーンで食べる屋台がある。

 SPECIAL HOTELというタイトルがついた動画がそれ

 これも。この店は、タンドール釜付きだ。コメにもパンにも、スプーンがつく。背後をよく見ると、スプーンで食事をしている人たちの姿が見える。

 路上のサモサ屋もスプーンつき。

 この屋台も

 これはバングラデシュダッカの屋台。動画の最初に出てくる客は、指で食べようとして、スプーンに変えている。

 こうやって動画を探せば、スプーンで食事をしているインド人の姿をいくらでも見ることができる。日本語のサイトでは、「インド人は100パーセント手食する」というのや、「今は、スプーンを使うのはごく普通」などと書いている人がいるが、ていねいに動画を探るだけでもいろいろ見えてくる。

 

1476話『食べ歩くインド』読書ノート 第24回

 

 

 金属食器・・1940年代前半、軍人の間で「軍隊小唄」という歌が流行った。

いやじゃありませんか 軍隊は

カネのお椀に 竹のはし

仏さまでも あるまいに

一膳飯とは、なさけなや

 「カネのお椀」を「カネの盆」にすれば、インドだ。「竹のはし」を「カネの箸」に変えると、韓国になる。インド人と韓国人は、金属食器を偏愛するという点で共通点がある。料理や飯などを盛り合わせるお盆のようなターリー皿の元は、バナナの葉だろう。地域によっては木の葉を縫い合わせた皿も使っただろう。東南アジアでは、中国人の影響が強いので、屋台や食堂の食器は、陶磁器やホーローの器を経て、プラスチックへと変わっていった。バナナの葉は、外国人観光客用のレストランで、異国情緒を演出する道具に使われた。タイで言えば、1970年代までは、持ち帰り用の容器として、バナナの葉が使われていた。そのあと、ビニールシートを新聞紙で包むようになり、防水紙になる。そして、発砲スチロールの器になる。駅弁は、タイでもインドネシアでも、昔はバナナの葉を使っていた。

 インドでバナナの葉が金属製のターリーに変わるのは、おそらく宗教施設での共食の食器として誕生したのがきっかけで、その後飲食店の食器になっていったのではないだろうか。

 1970年代のインドでは、路上に七輪を置いただけの屋台などでは、木の葉を食器に使っていたのを覚えているが、『食べ歩くインンド』を見ると、まだ残っているらしい。路上の食がどうなっているのかが気になって、ちょっとYoutube遊びをやった。これが楽しい。

 バナナの葉をプリントした紙皿を使っている店の例をいくつか見た。アルミを貼った紙皿を使った屋台もある。東南アジアなら、プラスチックの皿や丼になるのだが、インドでは紙皿になるのは、浄・不浄の問題があるからではないか。バナナの葉を皿にしたのも、使い捨てができるという利点もあるからだ。器を見つめるのも、食文化研究なのだが、「カレー命」の人はまったく興味がないようだ。

 インド人が食事をするシーンをインターネットで見ていて、「よく食うなあ」と思った。田舎で大量に料理を作り、村人といっしょに食べるシーンでも、町の食堂でも、人々はよく食う。大量のコメを食うなあと強く思うのは、一度にあまり食わないタイ人の食事風景をよく見ているからだ。1人前のコメの飯の盛りを、タイを1とすれば、インドネシアでは、1,5から2。インドは3~4になるというのが私の想像だ。

 この動画がすごいのは、盛りがタイの4倍くらいある上に、おかわりをしている客がかなりいることだ。

 そのくらい飯の盛りが多いということだ。国民がどれくらいコメを食べるかといった統計資料はあるが、1人前の飯の量の比較はおもしろいが資料がない。コメを常食しない人たちもいるから、「国民ひとり当たり」という統計は役に立たない。タイでは、もともと1人前の盛りが少ないのだが、おかわりをする風景はあまり見ていない。「米飯ひとり前の国際比較」は、簡単にはできないが、インターネットの画像を使った比較は、遊び程度ならできる。

 食事風景の動画を見ていて気がつくことは、あれほど山盛りの白飯を食べる人たちが、この動画のような味付きご飯になると、とたんに量が少なくなるのはなぜだろう。インド人がスプーンで食事することについては、次回から2回にわたって詳しく触れる。

 もうだいぶ前のことだが、タイに買い出しに来たナイジェリア人が、「盛りが少ない」と文句を言っている場に遭遇したことがある。しばらくして、バンコクにナイジェリア人用食堂ができて、ためしに行ってみると、飯の量が2倍以上だった。タイのナイジェリア人は麻薬関連でよく逮捕されたせいで、新聞にナイジェリア人が登場するのは犯罪がらみが多かった。いまでも記憶に残っているのは、「麻薬持ち出しで逮捕されたナイジェリア人が、『飯が少ない!』と刑務所で暴れる」という新聞記事だった。

 

1475話『食べ歩くインド』読書ノート 第23回

 

 

 P298HOTEL・・・HOTEL“という看板が掲げてあっても宿泊施設はないというカルチャーショックを受けるのは、何もインドだけではない。元英領インドという事なら、インドのほかにパキスタンバングラデシュも、そして英領セイロン(現スリランカ)も、hotelは食堂である。そして、ケニアでも同じだったが、ケニア以外のアフリカの元イギリス植民地ではどうなのか、まだ調べがつかない。タンザニアウガンダには行ったことがあるが、”hotel“の看板を掲げた食堂の記憶はない。

 オーストラリアやニュージーランドを旅行した人も、”hotel”の看板を見て、きっと「あれ?」と疑問に思っただろう。

 『イン INN―イギリスの宿屋のはなし』(臼田昭、駸々堂出版、1986)に、「そもそも英語で宿屋とは・・・」という項がある。要約すると、こういう内容の文章だ。

 英語で宿屋といえば、まず「イン」だが、「ホテル」、「タヴァン」、「パブ」、「エールハウス」などの類義語がある。共通しているのは、金銭をとって客に酒食を提供する場所だということだ。  

 宿泊の施設も持っているのがインで、現代風に言えば、これがホテル。

 個室やボックス席も設け、酒食を提供するのがタヴァン。現代ではレストランだ。

 椅子とテーブルを置いただけの安直な店でもっぱら酒を提供するのが、エールハウス。これを今はパブという。エールハウスに宿泊施設がついていることもあり、これらの施設の区別は明確ではない。

 いくつもの資料でさらに調べると、tavernには宿泊施設がついているものもあるが、ベッドがあるだけの大部屋で、利用できるのは男だけだった。個室があり、女性も利用できるのが元はフランス語のホテル。大都市で大きなビルを構えているのが、当初のイギリスの「ホテル」だった。インは、田舎の街にある食堂つき宿泊施設のこと。宿泊施設を表す英語は、このほかにもホステル、ゲスト・ハウス、ロッジなどいくらでもある。

  外食産業史の話で書いたことだが、アジアやアフリカで、ホテルやレストランを利用するのは宗主国の人間か西洋人だ。彼らに宿泊施設と飲食施設の両方を提供するのがホテルだった。新しく飲食施設を作るときに、宿泊施設がなくても、ホテルと名乗ったのではないか。フランス生まれの”restaurant”という語が英語に入って来るのが、19世紀初めごろらしい。この言葉はイギリス人にとってはまだなじみがないということを考えると、食堂もhotelと呼んでもそれほどおかしくないという気もする。フランス生まれのhotelという語もrestaurantという語も、イギリス人にとって、19世紀初めごろはまだ外国語だった。話がややこしくなる原因がそこにある。

 オーストラリアやニュージーランドで、Hotelという看板を掲げながら宿泊施設がないただのパブという事情は、ネット上にいくらでも解説がある。それによれば、かつてこの両国にも禁酒法があった。アメリカの禁酒法と違って、全面的禁酒ではない。夜はパブで酒を出してはいけないという法律だ。そこで、「ここはパブではなく、ホテルです」と言うことにして、”HOTEL”の看板を掲げてパブを営業していた時代の名残りが、客室のないhotelだ。

 イギリスの辞書には、「ホテル」が宿泊施設ではない例を、インドとオーストラリアとニュージーランドの3か国しか挙げていない。私の旅行体験ではケニアの例も知っていることはすでに書いた。しかし、同じ元英領でも、マレーシアでは、レストランはrestoran、ホテルはhotelだ。マレーがイギリスの植民地になったのはインドよりも遅いから、イギリスでもhotelが今日の「ホテル」になり、食堂はrestorantになり、そしてマレー語化してrestoranと呼ぶようになったのではないかと推測している。マレー語やインドネシア語の飲食施設名はややこしいので、ここでは深く解説しない。

 中国語のホテルは、漢字が読める日本人は誤解するだろう。台湾の天成大飯店の英語名はCosmos Hotelだ。上海虹口三至喜来登酒店の英語名はSheraton Shanghai Hongkou Hotelだ。ホテルを台湾では「飯店」、香港や中国では「酒店」と書く傾向はあるが、全部が統一しているわけではない。日本で「〇〇飯店」と言えば、中華料理店だが、台湾ではホテルだ。香港では、「飯店」をホテルの意味でもレストランの意味でもあまり使わない。

 このテーマをちゃんと調べれば、好奇心の泥沼にはまる。

 

 

1474話『食べ歩くインド』読書ノート 第22回

  

 P203サブダナ・・「ヴラト(断食)の際に食べられるサブダナですら元々は東南アジア起源の食材である」とあるが、サブダナがわからない。巻末の用語辞典をみると、「サブダナ・・・西インドでのタピオカの呼称」とある。タピオカはキャッサバのデンプンから作った食品で、キャッサバは南米原産のはず。

 P255甘いグジャラート料理・・ある食文化研究会で、「料理と甘さ」をテーマに発表しなければならなくなり、あれこれ調べているときだった。テレビ番組で、東京のインド料理店を紹介していて、料理風景が画面に映ったときに、インド人の料理人が鍋にかなり大量の砂糖を放り込んだのを見た。そのシーンが気になった。そんなときに、うまい具合に会ったのが、インド料理出張料理人ユニット「マサラワーラー」の武田尋善さんと鹿島信治さんだった。

 「インドでも、料理に砂糖を入れることがあるんですか?」と聞くと、「ありますよ。グジャラートの料理なんか甘いですよ」という。「甘いって、甘めっていう程度・・・?」と重ねて聞くと、「いえいえ、『甘っ!』ていうほど甘いですよ」という。

 それ以来、グジャラート料理が気になって、マドリッド滞在中にグジャラート料理店を見つけたので入ってみた。今にもつぶれそうな店で、残念ながら甘い料理はなくて、ただの、おいしくない料理だった。

 天下のクラマエ師も、「グジャラート料理は甘いよ」とおっしゃる。では、なぜ甘いのかを調べてみたが、よくわからない。『食べ歩くインド』でも、「確定的なことはよくわからないのだ」としている。それならば、インドのド素人が勝手に想像してみることにした。

 まず頭に浮かんだのは、グジャラートは製糖業が盛んな土地だろうという想像だ。そう考えたのは、九州の料理が甘いことと関係がある。日本人が砂糖をかなり自由に使えるようになるのは、台湾を領有し、台湾製糖が砂糖生産を大々的に行なう20世紀初め以降だ。しかし、九州はちょっと違った。長崎出島には、オランダ人の手でインドネシアの砂糖が大量に運ばれ、裏ルートで民間にも流れた。鹿児島には琉球の砂糖が入っていた。台湾の砂糖が日本に大量に入って来る以前に、九州ではある程度砂糖が出回っていたのだ。表の流通ルートとは別に、裏の民間ルートもあったのだ。

 この事実をもとに、グジャラートは製糖業が盛んで、100年か200年前から砂糖が自由に使えたのだろうという仮説を証明するために、インドの製糖業について調べた。たしかに、グジャラートはサトウキビの産地であり、製糖工場もあるようだが、期待に反して、それほどの量は生産していない。大生産地ではなかったのだ。引き続き調査をすると、次の論文が見つかった。実におもしろい論文だ。これで、わかった。

 「近世西インドグジャラート地方における現地商人の商業活動--イギリス東インド会社との取引関係を中心として」(薮下信幸)

 たしかに、グジャラートは砂糖生産地としては、大したことはない。しかし、グジャラートは古来から西アジアとの重要な交易地だとわかった。グジャラートの砂糖生産量はそれほど多くはないが、グジャラートの南で生産された大量の砂糖がグジャラートに運ばれて、中東やヨーロッパ方面に輸出された。グジャラートは砂糖の大生産地という仮説は間違いだったが、砂糖の大集積地であり積み出し港だったという事実がわかった。つまり、グジャラートは古くから大量の砂糖が集まる場所だったのだ。砂糖と料理を結びつけて考えたのは私の仮説にすぎないので、もちろん正解というわけではないが、小林さんが紹介している「地下水塩味説」や「脱水防止説」よりは説得力があると思う。砂糖が大量になければ、料理に大量に使えないのだから。

 

 

 

 

 

1473話『食べ歩くインド』読書ノート 第21回

 

 

 インドの飲み物の話の続きだ。

 外国旅行など夢のまた夢だった少年時代、テレビの旅番組、もしかすると「兼高かおる世界の旅」だったかもしれないが、ココナツジュースを飲むシーンを見た。ココナツの上の方をそぎ落とし、ココナツに口をつけて、中の液体をごくごく飲む。「これぞ、熱帯!」という感じだった。高校生になれば、バナナはもはや高級果物ではなくなったが、日本でココナツは売っていなかった。私の知らない場所でたとえ売っていたとしても、とうてい買える値段ではないだろう。日本に住む高校生は、ココヤシの木も、ココナツも、ココナツミルクもまだ見たこともなかった。

 インドの路上で、あこがれのココナツを売っているのを見つけた。緑のココナツの上部をナタで削っている。路上の商人に、「私にも、くれ」とジェスチャーで示し、前の人と同じように、ココナツを両手に持ち、口をつけた。生ぬるく、ほんの少し甘く、ちょっと青臭い。決して、うまい物じゃない。それが最初にして最後のココナツジュース体験だった。

 P171紅茶・・インドの紅茶はこういうものだという説明がある。

 「最大の特徴はスパイスが加えられることだ。カールバッタと呼ばれる金属製の乳鉢と棒で砕かれた生姜、カルダモン、シナモンなどが単独かミックスで投入され、何度か沸騰させたのち、茶漉しを使ってグラスに注がれる。これがインドでの基本的なチャーエの淹れ方である」

 ということは、インドでカルダモンやシナモン風味の紅茶を飲んだことがない私は、基本的なインド紅茶を飲んだことがないという事だろうか。駅や路上や粗末な屋根があるだけの茶店で、立ったままか、石かなにかに腰を下ろして、おそらく100回くらいは紅茶を飲んだと思う。紅茶に興味があって、ダージリンでちょっと紅茶の勉強をした。紅茶屋が商売熱心で、TGFOPは今でも覚えている。これは、”Tips Golden Flavour Orange Pekoe”の略称だと教えてもらいメモをしたのだが、今インターネトで答え合わせをすると、”Tippy Golden Flowery Orange Pekoe”が正解らしい。たぶん、私の聴き間違いだろう。紅茶のことを教えてくれた授業料として、その紅茶屋で多少高い紅茶も買ったが、いちばん多く買ったのは、路上や駅で飲みなれている”Dust”(ゴミ)と分類された粉茶だった。ミルクをたっぷり入れても薄くならないこういう茶葉が、私の好みに合っている。そういうわけで、ダージリンでも結構紅茶を飲んでいたが、スパイスの味や香りの記憶がないのだ。

 余談だが、その旅で大量に買った紅茶は、羽田空港で問題になった。茶葉ではなく、別の植物の葉ではないかと疑われ、「だいぶ吸いましたね」などという誘導尋問を浴びつつ、紅茶の包みの封を切られた。

 P190・・「蒸し暑いタミルの夜はハードリカーもいいが、とりあえずビールといきたい」という文章を読んで、氷について考えた。インドではハードリカーを、どう飲むのだろうか。ストレートか、ロックか、水割りか。氷に関して強い関心を持ったのは、インドの後タイに行ったからだ。統計的根拠のない推測だが、世界3大氷消費国を考えると、アメリカ、タイ、日本になる。ヨーロッパ人は、冷たい飲み物をあまり好まない。熱帯アジアでは、タイが傑出しているのは明らかだ。私の調査が及んでいないのは、オーストラリアとニュージーランド中南米だから、「3大」ではなく、どこかの国を加えて、「トップ5に入る」とした方がいいのかもしれない。

 飲み物に入れる氷の消費量ということでは、南アジアは低いと思う。そのなかで、酒に氷を入れるのかという疑問だ。どこの国でも酒を飲まない私だから、完全に想像で書くのだが、外国人も多く来るホテルのバーなどでは「清潔な水で作った氷」が用意されているだろうが、酒の値段が安くなるバーだと、どうなんだろうか。

 今のインドにかき氷はあるのだろうか。「インド かき氷」で検索すると動画も含めて、いくらでもヒットした。おお、時代は変わったのだ。カンナ式のかき氷製造器や回転式かき氷製造機もある。ただし、氷そのものが、冷蔵用なのか「飲用可」なのかの説明はない。冷蔵用なら、その昔、カルカッタで10センチ四方くらいの氷を買い、甘い紅茶に入れて、アイスティーにして、パラゴンホテルの中庭で飲んだが、旅行者たちからホラー映画を見るような目で見られた。